男闘呼組は1988年にデビュー。ジャニーズとしては珍しくバンド活動を中心とし、メンバーは成田昭次、高橋和也、岡本健一、前田耕陽の4人から成る。活動休止後は、それぞれが同事務所を退所するも、唯一岡本だけが残存。その岡本も2021年11月、同事務所の歴史で初のエージェント契約を締結し、同事務所のサポートにより自らの管理で新しい分野の仕事に挑戦している。
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岡本は、男闘呼組の活動以降は舞台俳優として評価され、アイドルからうまく転身できた稀有な例といえる。私生活では、1992年に元モデルの女性と結婚。1993年4月、長男で俳優・圭人(元Hey! Say! JUMP)が誕生したが2007年に離婚し、シングルファザーとして圭人を育てた。そんな中の2010年7月、女優・米倉涼子との”車中デート“を『女性セブン』(小学館)に激写され、久々に注目を集めた。
記事では、当時34歳の米倉の愛車を岡本(当時41歳)が運転し、米倉を送り迎えする写真を掲載。都内のホテルや自宅に移動する様子も撮られており、車内では2人が顔を近づけて仲むつまじく話していたという。
「2人は2005年のドラマ『黒革の手帖スペシャル~白い闇』(テレビ朝日系)で出会い、翌2006年の舞台版でも共演。実は、この報道前の2008年夏に都内で手つなぎデートが一部夕刊紙で報じられていました。ですが、双方ともに交際を否定していました」(芸能ライター)
報道以降、2人の進展はなかったとされたが2011年6月、同誌は再び2人の“お泊まりデート”をキャッチしたのだ。記事によると同月、東京・帝国劇場での舞台『風と共に去りぬ』でヒロインを演じる米倉が初めての休演日を迎えたという。するとその前夜、米倉は舞台を終えると自宅に直帰し、それを待っていたかのように岡本が米倉のマンションに入り、「そのままお泊まり」と報じた。
2012年1月、岡本は都内で行われたカルト・ミュージカル『ロッキー・ホラー・ショー』のプレスコール後に取材に応じ、報道陣から米倉との関係を問われると「誰から聞いたの?」ととぼけ、質問をはぐらかしながら同作品をアピールしていた。
ところが同年7月、同誌は2人の破局を報じた。記事では、米倉の関係者の証言を掲載。関係者によれば、2011年7月の“お泊まりデート”の直後に米倉は主演舞台『CHICAGO』のために渡米し、一方の岡本は舞台の仕事が続いたことですれ違いが生じたという。結果、「そのまま別れることになった」と報じている。
また、破局と同時に同誌は米倉の次なる熱愛も報じた。記事によると、お相手は『CHICAGO』の振付師で当時、62歳のゲイリー・クリスト氏だという。米倉は同月、米・NYのアンバサダー劇場で開催された『CHICAGO』全6公演を無事にやり遂げた夜、宴のお開き後にクリスト氏と同じタクシーに乗り込み、夜の街へと消えていったようだ。
同誌は、クリスト氏が岡本との破局に関係があったかどうかについては触れていない。ただ、このとき岡本とはすでに破局していたとみられ、多忙ゆえの別れであったとの見方が強い。
2014年12月、米倉は会社経営者の男性と結婚したが、わずか3カ月後の2015年3月に離婚。一方の岡本は、2015年に知人の紹介で出会った一般人女性と再婚し、当時4歳の長男と2歳の長女をもうけたことを2020年12月に発表した。
プライベートだけでなく、同年4月の独立など仕事面でも波瀾万丈な米倉だが、変わらず活躍を続けている。元恋人の新たな活動も喜んでいるかもしれない。