M-1芸人で劇場番長――。最強の肩書を手に入れた東京の吉本芸人といえば、東京ダイナマイト(松田大輔、ハチミツ二郎/以下、東ダイ)。M-1には、04年と09年に決勝戦に進出した。特筆すべきは、04年はオフィス北野(現:TAP)、09年は吉本興業で、所属事務所が異なる点だ。オフィス北野は、ビートたけしが興した芸能事務所。80年代にはそのまんま東(東国原英夫)やダンカン、ガダルカナル・タカら「たけし軍団」をブレイクさせ、隆盛を極めた。しかし、腕のある漫才師は浅草キッド(水道橋博士、玉袋筋太郎)だけ。手薄だった期間が長かったため、北野初のM-1芸人となった東ダイは革命児といえた。
>>怒りのあまり収録放棄の出演者も、たけしもドン引き『TVタックル』での激論バトルは過去にも<<
あまたのお笑いプロダクションから東ダイが北野を選んだ理由は、ハチミツがたけしの長男と親しかったから。その縁で、芸能人御用達で知られる東京・西麻布の高級イタリアンレストラン「キャンティ」でたけしと会食する機会に恵まれ、所属となった。
しかし、M-1で強いのは圧倒的に吉本芸人。北野内で次第に、東ダイが吉本への移籍を画策しているといううわさが飛んだ。その通りだった。たけしは歓迎したが、吉本移籍に「1年置いてくれ」という条件を出した。SMAPのジャニーズ事務所退所をはじめ、有名タレントの独立が相次いでいたため、誤解を避けるための1年だった。それに従い、東ダイはフリーに転向。のちに、モデルや女優の事務所で知られるオスカープロモーションに期間限定で身を寄せて、1年の経過と同時に吉本へ移った。パイプとなったのは、超大御所の中田カウスだった。
「吉本が運営する浅草花月の舞台に立ったときに、カウス師匠から呼び出されたのです。『おいちゃん(たけし)から電話があったぞ。うちの若いのが行くから、吉本で世話してくれって。お前ら、吉本に来る気ないのか?』と問われたので、『行きたいです』と答えると、その場でカウス師匠が吉本上層部に電話。次の日に事務所に行くよう指示され、所属となったのです」(テレビ番組制作会社の放送作家)
たけしの粋な根回しに胸を打たれた東ダイ。神ならぬ“殿対応”を裏切るまいと、年間最高500ステージをこなすリアル劇場番長となった。
たけしからの惜別メッセージは、「あんちゃんたちのコントは寿司職人が食べに行く寿司屋だ。売れたいならマクドナルドになれよ」だったという。
(伊藤由華)