1977(昭和52)年10月、高知県の某中学校で連続放火事件があった。
放火は3度にわたり発生した。10月13日の朝、木造校舎の教室から出火し3つの教室が焼けたほか、19日には夕方過ぎに美術室の資材置き場から火が出てボヤ騒ぎとなった。また21日には渡り廊下にある下駄箱から火が出た。こちらも早々に消火されたものの、下駄箱が使用できなくなってしまったという。
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学内での連続放火に「犯人は学生ではないか」と捜査が入り、最後の放火事件から2日後の10月21日、この学校に通う中学1年生の女子生徒2人が放火の疑いで補導された。
決め手は、放火犯の女子生徒のうち1人の自宅のゴミ箱から「犯行計画書」なる文書が見つかったことだった。
「犯行計画書」は放火に関する計画の全てが書かれており、かなり緻密に計画を練ってから実行に移していたことが明らかになった。
犯行計画書には「この紙に書いてある内容を話す際は小声で話すこと」「指紋は絶対に残さないこと」「朝はヤバいので今度は放課後にする」「時刻は午後○○時○○分」と独自のルールを決めて放火をしていたようだった。
3件の放火事件は全てこれら犯行計画書にのっとり行われた。彼女らは犯行の動機について「学校が面白くなかった」「欲求不満だった」「みんなを『あっ』と言わせたかった」とある種のゲーム感覚で犯罪に手を染めていたことが明らかになった。
犯行計画書による放火は3件で終わったが、成功が続けば犯行が続いていくことが明らかであったため、生徒の両親や教師たち大人は思わず恐怖したという。
70年代後半の少年犯罪は、とても子どもとは思えない知能的な犯行が多く、この事件も例外ではなかった。