解散の理由は諸説あるが、主たるものは元メンバー・藤井郁弥(現:藤井フミヤ)と高杢禎彦との確執といわれ、“内紛”で生じたメンバー間の溝を埋めるのは至難の業ともいわれる。
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発端は、2003年6月発売の高杢の著書『チェッカーズ』(新潮社)。同著では、メンバー内での序列や確執、金銭的な問題などを洗いざらいぶちまけ、高杢はまるでフミヤが解散の“戦犯”であるような書き方をしたことで、大騒動と化した。
高杢は、「もう俺は我慢ができなかった」とフミヤのワンマンぶりを批判。解散するかしないかをめぐり、グループが二分されていたことも明かした。また、メンバー間の所得格差が広がり、解散による生活苦を不安視した高杢は解散を反対していたが、フミヤがその意思を変えることはなかったとしている。
さらには、解散前にフミヤが一方的に長期の休暇を取ってチェッカーズを休業させ、その理由が1990年6月に結婚した夫人と海外でバカンスを楽しむためだったと暴露。あげく、解散についてのミーティングをフミヤがクラブで酒を飲みながら実施しようとしたため、真剣な話し合いを求めた高杢が激怒したなどと主張した。
「両者は福岡県久留米市出身、高杢は中学時代、不良グループの番長格で音楽とは無縁だったそう。一方のフミヤは中学時代から音楽活動を始め、幼なじみの高杢がチェッカーズへの加入をフミヤに頼み、サイドボーカルとしてデビューしたのです」(芸能ライター)
しかし、この本が原因となり2004年8月、元メンバー・徳永善也さんが死去した際、フミヤが「クロベエ(徳永さんの愛称)を送る会」の発起人から高杢と鶴久政治を外し、メンバーは完全にフミヤ派と高杢派に分かれてしまった。さらに、高杢派の2人が連日ワイドショーに出演し、フミヤ派に怒りをブチまけるという騒動に発展したことで世間にも深すぎる確執をうかがわせてしまったのだ。
「フミヤは『送る会』の会見で、溝を深くしたのは高杢の本だとし、『本はデタラメって聞いてるから読んでません』と切って捨てたのですが、これに激高した高杢がフミヤを名誉棄損と営業妨害で訴えると騒ぐ始末。結果的には裁判に発展しませんでしたが以降、チェッカーズの再結成は絶望的といわれてきました」(前出・同)
そんな中の2013年12月、フミヤは『藤井フミヤ 30TH ANNIVERSARY TOUR vol.1 青春』の大阪公演で高杢について言及。このころから、解散から封印してきたチェッカーズの楽曲を披露するなど、フミヤが再結成について前向きであると同月発売の『女性セブン』(小学館)が報じた。
一方で、2014年1月に報じられた一部ニュースサイトによれば、高杢の著書の件だけでもフミヤは激怒していたが当時、高杢はメディアの取材を受けまくり、「フミヤには愛人がいる」「アイツは浮気している」などとマスコミにあおり立てていたとしている。しかし、事実無根の情報をタレ込んだ高杢にフミヤは怒りを通り越してあきれ返り、再結成は限りなくゼロに近いとも伝えている。
解散から30年の時を経て、チェッカーズの歴史が動き始めたことはファンにとってこれほどのことはない。だが、両者の雪解けがまだまだ遠いことも確かである。