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斉藤由貴、尾崎豊さんの死に号泣? 嘘発覚で仕事激減、夫人とも修羅場か【芸能界“ドロ沼”不倫ファイル】

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斉藤由貴

 1992年4月に26歳の若さで逝去したアーティスト・尾崎豊さんの生前最後の全国ツアーの初出音源を収録したライブアルバム『LAST TOUR AROUND JAPAN YUTAKA OZAKI』の発売が3月に決定。同時に、尾崎さんが生前愛用していた私物などの貴重な資料を多数展示する『OZAKI30 LAST STAGE尾崎豊展』が同月、東京・松屋銀座8階イベントスクエアで開催されることも発表された。

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 尾崎さんは、1983年12月にシングル『15の夜』とアルバム『十七歳の地図』で高校在学中にデビュー。ライブでのパフォーマンスや、愛や夢、社会に対する矛盾を訴えるストレートな曲が若者から支持され、カリスマ的存在となる。死後30年がたとうとする尾崎さんの歌手活動はわずか8年ながらも、その人気は今なお健在。多くのアーティストが尾崎さんの楽曲をカバーするなど、まさに“伝説のアーティスト”と呼ぶにふさわしい存在である。

 そんな尾崎さんは生前、女優・斉藤由貴との不倫愛で世間を騒がせたこともあった。1991年4月、『FRIDAY』(講談社)が斉藤との北海道・小樽でのデートをスクープ。肩とほほを寄せ合い仲睦まじげに旅行する2人のショットは世間に大きな衝撃を与えた。

 「尾崎さんは1988年に一般人女性と結婚。斉藤との出会いは、1990年11月発売の雑誌『月刊カドカワ』(角川書店、1998年廃刊)での対談がきっかけだといいます。1987年に尾崎さんが、覚せい剤不法所持で留置所生活をしていた際、斉藤のグラビアを見て心が慰められたそう。釈放後、自ら対談の話を持ち掛け、斉藤との共演が実現したようです。共演を機に急接近した2人は不倫関係へと発展するも、当時の斉藤はトップアイドル全盛期でした」(芸能ライター)

 報道を受けた斉藤は1991年4月、フジテレビの玄関外で会見に応じた。斉藤は尾崎さんとの交際の事実を認めるも、恋愛関係については「ご想像にお任せします」と含みを持たせた。さらに、尾崎さんとの関係については「同志みたいな感じ」という表現で説明。また、結婚願望を聞かれると「あるかな、ないかな」と笑顔でおどけながら、「すごくすてきな人だと思うけど、簡単に(結婚)したいと思わないようにしないといけない」と自制心を保っていた。
 
 また、斉藤は自身の信仰するモルモン教にもついても触れ、「宗教って罪人のためにあると思う」とし、「私もたくさん過ちを犯しています」と断言。さらには、あくまで一般論として、不倫そのものについては「(信仰宗教関係なしに)妻子ある人との深い付き合いはいけない」と正論を振りかざす一幕もあった。

 「実は会見の前に、斉藤は尾崎さんとは『昨年(1990年)から会ってない』と否定していたようです。結果的に斉藤の発言は虚偽だったと報道で明らかになり、厳しい目が向けられるとCMなどを降板。仕事は激減したといいます」(前出・同)

 1991年4月発売の『デイリースポーツ』によると、会見当時、すでに尾崎さんは夫人と別居中だったと報じ、「離婚も時間の問題」とも伝えていた。

 しかし、2人は会見後に破局したといわれ、尾崎さんは離婚を回避。しかし、その翌年に尾崎さんは覚せい剤中毒による肺水腫でこの世を去った。

 ところが、2019年2月のニュースサイト『週刊女性PRIME』によると、斉藤は尾崎さんの死を自身のマネージャーから伝えられ、号泣したと報じている。さらに、2人は破局どころか交際を継続させ、斉藤が東京・渋谷にある尾崎さんの仕事部屋兼別宅を頻繁に訪れていたとも伝えている。あげく、往生際の悪い2人に激高した尾崎夫人と修羅場を迎えたという。

 1990年11月に発売した尾崎さんのシングル『ロザーナ』は、一部では斉藤のために書いた曲だとも語り継がれている。真相は2人だけが知るところだ。

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