17日に行われた引退会見では「11年間ありがとうございました。1度目の戦力外でそこからベイスターズに拾ってもらったときに、次にこういうことが来たら諦める」と決心していたとコメント。今シーズン、一軍での登板機会は一度も用意されなかったが「しっかり覚悟を持って毎年腕を振ってきたので、言われたときにはすぐ決断していました」と自分の中では踏ん切りをつけた。しかし「妻に伝えたときは『まだやってほしい』と言われたのですが、自分で決めたことを認めてもらいたい。悔いのないように一年一年腕を振ってきたので」と、揺るぎない決心だったと明かした。
武藤の初登板はドラゴンズ時代の2011年6月29日の横浜ベイスターズ戦、7回裏に3番手で登板し1回1失点。「初登板も(横浜)スタジアム、最後もスタジアム」と予定されている23日、古巣のドラゴンズ戦後のセレモニーを見据え、縁を感じていた様子。
また2012年5月27日、ナゴヤドームで行われた福岡ソフトバンクホークス戦で、5回表に2番手で登板し、2回無失点の内容で初勝利を挙げた試合と、「ベイスターズに入って最初に投げた試合。まだプロ野球選手でいられるんだなという思いをかみ締めながら投げた」の2018年5月18日の東京ドームでのジャイアンツ戦、リリーフで1回2失点だった試合は、未だに脳裏に刻まれているゲームと語った。
ベイスターズには「すぐに打ち解けてくれて、みんな家族のように接してくれた。一軍コーチもフラットな状態で僕を見てくれた。すごく居心地のいい4年間だった」と感謝していたが、ブルペン陣からも「強い時代を知っている武藤さんのアドバイスは頼もしい」との証言もあり、互いにいい関係を構築していたことは間違いない。
三嶋一輝、国吉佑樹らがモップアッパーから役割を上げていったことで、それらの空いた役割からスタートしながら、徐々にしびれる場面へと、様々なシーンでも投げ続けた。コロナ禍には減量にチャレンジするなど、たゆまぬ努力も周囲に示していた右腕。ファンに「感謝してもしきれないです」とメッセージを送っていたが、その言葉はファンも同じ。ベイスターズに移籍してからも、ドラゴンズファンにボールを投げ入れ「人としてですよ」と笑う心優しき“ムーさん”の勇姿は、決して色あせない。
取材・文 ・写真 / 萩原孝弘