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100人以上の村人はどこへ消えたのか?「ロアノーク島植民地集団失踪事件」に科学のメスが

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 そこにいたはずの人がいなくなってしまうという神隠し事件は世界各地で起きているが、中でも規模が大きく、謎に満ちているのが16世紀のアメリカで起きた「ロアノーク植民地集団失踪事件」だ。

 ロアノーク島はノースカロライナ州の東海岸にある小さな島である。大西洋を渡った先の玄関口とも言える場所だったため、イギリスの植民地の中では重要な拠点となっていたという。

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 ロアノーク島に開拓団が到着したのは1585年。指揮官であるジョン・ホワイト総督らが開拓していたものの、3年後に食料危機が発生。総督らは母国のイギリスで物資を補給することを決め、115人をロアノーク島に残して帰ることにした。だがその後、スペインとの間で戦争が勃発したため、総督らが島に帰還できたのはさらに3年後の1590年だった。

 ホワイト総督らは船から島を確認したとき、島から細い煙が上がっているのを目撃。入植地の人々は島に残っていたのだと喜んで上陸したのだが、彼らが目の当たりにしたのは無人になった入植地だった。100人以上いた人々はどこにもおらず、代わりに防御柵が築かれ、浜辺には「CROATOAN」と刻まれた柱だけが残されていた。入植者たちは、島を離れる時には行き先を柱に記しておくことと、緊急事態の時には十字の傷を彫っておくことを約束していたのだが、そのような印は何もなかった。100人の入植者は集団で神隠しにあったように姿を消してしまったのである。

 この謎は4世紀以上たった現在でも明らかになっていない。抗争や飢えで壊滅したとの説があるが、3年で全滅したとは考えにくいという。また「CROATOAN」が先住民族の部族名でもあることから、先住民族と抗争になったであるとか、散り散りになって同化したのではないかとも言われている。

 そんな「ロアノーク植民地集団失踪事件」に、現代になって科学のメスが入った。1990年代にクロアトアン島で行われた発掘調査で、入植当時のものとみられる指輪や金貨が発見され、ロアノーク島の入植者の所持品だった可能性が浮上。また、2011年にノースカロライナ大学の教授が、ホワイト総督の地図の復刻版にとりでのマークが書き込まれており、上から小さな紙を張って隠されていたことを突き止めた。

 その後、考古学者らは研究グループ「First Colony Foundation」を立ち上げ、国立公園局と協力して発掘調査を行うことになった。2016年には前述の「隠されていたとりで」の区画に地中レーダーを導入し、発掘調査が行われていたのだが、ここでは16世紀頃の欧州産の陶器片が発見されている。

 今年の調査では植民地時代の金属加工の証拠が発見されている「サイエンス・ワークショップ」と呼ばれる場所も含めてさらなる調査が行われる予定だという。この場所は「1585年の遠征時に建設され、2年後に失われた植民地が到着する前に放棄されたと思われる土塁」が見つかった場所。手がかりが残されているのではないかと期待されている。発掘は9月24日まで行われる予定で、一般の人々も調査に参加し、"プロの考古学者の仕事を見る  "ことができるそうだ。

 4世紀もの間謎に包まれていた大規模失踪事件の謎が明らかになる日はくるのだろうか。

(山口敏太郎)

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New Archaeological Dig to be  Conducted at 'Lost Colony of Roanoke' Site(coast to coast  am)より
https://www.coasttocoastam.com/article/new-archaeological-dig-to-be-conducted-at-lost-colony-of-roanoke-site/

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