昨年12月、製作総指揮を務めた「映画えんとつ町のプペル」が公開。デビュー作にして動員170万人、興行収入24億円を突破し、「第44回日本アカデミー賞」で優秀アニメーション作品賞を受賞。今年11月には、ミュージカル「えんとつ町のプペル」の上演、オンライン配信を控える。
インフルエンサーという言葉が流布する前から、多方面に強い影響力を与えていた西野。その天賦の才をイチ早く見抜いていた先輩芸人がいる。博多大吉だ。
>>同期芸人がギスギスする原因でもあった? 吉本退社のキンコン西野に抱いてきた複雑な思い<<
出会いは、2000年代前半にまでさかのぼる。キンコン、ランディーズ(解散)、ロザンによる若手お笑いダンスユニット「WEST SIDE」が、福岡吉本のトップだった博多華丸・大吉の番組の公開生放送にやってきた。3組6人は、島田紳助さんがプロデュース。若くて顔がいい芸人で結成された。関西のローカルアイドルとしては、まだ無名だった関ジャニ∞より多く黄色い声援を浴びていた。
2人が接近したのは、大吉の上京後の2000年代後半。住まいが近所だったため、飲む機会が増えた。13年、「Dr.インクの星空キネマ」「Zip&Candy ~ロボットたちのクリスマス~」「オルゴールワールド」(ともに幻冬舎)とすでに3冊の絵本を出版していた西野は、米国ニューヨークで原画展を開催しようと企てた。しかし、資金がない。そこで、有名芸能人で初のクラウドファンディングで顔も名前もさらして、資金を募った。
出資金額によってリターンが変わるシステムで、西野は最低額の500円の場合は、ニューヨークからメッセージハガキを送ると設定。最高額の30万円であれば、細密ペンであなたのために作品を書き下ろすという公約を掲げた。この30万円に手を挙げたのが、大吉だった。
「その夜は、天津の向(清太朗)さんと3人で飲んでいて、西野さんがトイレで席を立った隙に、大吉さんが店を出た。帰ってくると、西野さんに封筒を渡して、『30万円のは俺が買うから、お前はニューヨークに行ってこい』と伝えたのです」(ウェブマガジンの芸能記者)
そのころ、2人の仲はまだそれほど深くはなかった。西野が断ると、大吉は「西野くんの絵を30万円で買えるのは、今しかない。これは僕にとってプラスだから、買わせてください」と引き下がらず、キャッシュで渡した。大吉いわく、当時の西野はみんなが歓談している場でも1人外れたところで絵を描くほど、没頭していた。その時間をみんなで飲む時間に充てたかったため、「西野くんを輪に戻すため」に投資したようだ。
クラファンは最終的に、585人の支援者から総額5,311,000円も集まった。西野は渡米して個展を開催する夢を叶えた。その後の快進撃は周知の通りだ。
先行投資したその絵は今、大吉宅の玄関に飾っているという。
(伊藤由華)