国分は、TOKIOのメンバーとして1994年9月にシングル「LOVE YOU ONLY」でCDデビュー。最前線を走り続け、国民的アイドルグループとして老若男女問わず人気を博した。そして、今年4月1日付で「株式会社TOKIO」をジャニーズグループの関連会社として設立。国分は副社長兼企画担当に就いた。私生活では、15年9月に元TBS社員の一般女性との結婚を発表し、16年10月に長女、18年9月に次女をもうけた。
2児の父となった国分だが、かつて歌手のaikoと8年以上にわたり交際し、結婚間近といわれたこともあった。
「2人の出会いは1998年に共演したラジオ番組だったよう。同年、交際をスタートさせたといい、2001年1月『スポーツ報知』の報道で熱愛が発覚した。当時、25歳のaikoも1歳年上の国分と肩を並べるトップアーティスト。続いて各スポーツ紙の一面も飾り、大々的に報じられました。同月、報道を受けた国分は事務所の先輩である少年隊・東山紀之の立ち会いのもと会見を行い、『大切な人。末永く仲良くできれば…』と額の汗をぬぐいながら、堂々の熱愛宣言をしたのです。女性との交際が御法度とされた当時のジャニーズからすれば、国分の交際宣言は異例でした」(芸能ライター)
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2人は、ピアノとキーボードを演奏することから意気投合したといい、それまで独学でキーボードを学んだ国分は「ピアノや曲を教わったりして、独学の僕には音楽の先生みたいなところがある。いろいろ話すうちに仲良くなった」と、音楽を通じて交際に発展した経緯を説明。さらに、デートはもっぱら焼肉屋だとも明かした。
会見時、国分はaikoとの将来について「結婚?それは考えてない」としていたが、2002年に同棲報道、05年にはペアリング報道などがあり、結婚間近ともいわれた。
だが2007年2月、『スポーツ報知』が2人の破局を報じた。すると国分は同年4月、NHKでの収録後に集まった報道陣の取材に応じ、交際発覚時と同様、自らの言葉で破局を宣言。報道を認めた国分は、「僕一人のことではない」とaikoを何度も気遣った。
破局の時期については明言を避けたものの、原因については「そういう縁だったんじゃないですかね。お互い、前向きに…。お互いの成長?そうですね」と発展的別離だったことを明かしたが、一方のaiko側は破局について、沈黙を貫いた。
「別れた時期は2006年夏ごろとされています。それまで何度か破局説が浮上しながらも、2人は否定し続けていましたが、多忙を極める2人にすれ違いが生じ、気持ちが離れていったよう。すでにケンカにもならないほど、無関心なほどに冷めきっていたといいます。2人は結婚目前でしたが、アーティストとして尊敬し合う関係になったようです。実際、国分は会見時に『あの人は今…、みたいではないですよ。彼女(aiko)が出ているテレビを見ることもありますし、頑張ってる姿を見ています』と強調し、男としてのけじめをつけました」(芸能関係者)
2020年9月、国分は『テレ東音楽祭2020秋』(テレビ東京系)の司会を務めた。番組では歌唱の合間に年代別のお宝映像が流れたのだが、90年代編でaikoのシングル『花火』(99年発売)の歌唱シーンが登場。すると、国分が笑顔で口ずさむ様子がワイプで映し出され、ネット上では温かい声が寄せられた。
破局後も歌番組などで何度か共演を重ねた2人。直接的な絡みはないものの、いつかアーティストとして同じ舞台に立つことはあるだろうか。