今後はフリーで活動するというが、同事務所は、「所属という形ではなくなりますが、引き続き出来る限りのサポートを続ける所存です」。
前田もコメントを発表し、「私、前田敦子は2020年12月31日をもって、14年間お世話になった太田プロダクションとの所属契約を円満に終了し、新たな道を歩き出すことをご報告させていただきます」と記した。
退社の理由について、「来年30歳を迎えるにあたりこれからの人生を考えた時に、もっとしっかりしなければいけないなと思い、ずっと甘えさせていただいた環境から一歩踏み出すことを決心しました」と説明した。
太田プロにはAKB在籍時の2007年7月から所属していたこともあり、前田は「いつか恩返しできるように、役者として精進したい」と意気込んでいた。
表向きには円満と思われた前田の退社だが、そこに至るまでの裏側を発売中の「週刊文春」(文芸春秋)が報じている。
同誌によると、以前から前田は「自分で好きなように、芸能以外の仕事もやりたい」と言っていたが事務所は認めず。
そこで前田は事務所の幹部を飛び越え、AKB48グループの総合プロデューサーである秋元康氏に直談判。秋元氏の「辞めさせてやれよ」の鶴の一声で事態が急展開したが、そのせいで事務所との間に深い溝ができてしまったようだ。
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そうでなくとも、もともと前田は気持ちの浮き沈みが激しく、ドラマよりも映画通が好む監督のマイナーな映画に出たがるなど、扱いづらかったという。
「同じ事務所には、前田と並ぶAKBの2トップだった大島優子が所属。しかし、大島は前田とは真逆なタイプで、先日、最終回を迎えた、主要キャストだったテレビ朝日系『七人の秘書』もヒット。前田に大きく差をつけた」(芸能記者)
夫で俳優の勝地涼との別居が報じられている前田だが、事務所に続き勝地とも“決別”するかが気になるところだ。