和田京平名誉レフェリー、木原文人リングアナウンサーが、プロデュースをする。
昨年2月にも馬場さんの追善興行を開催しているが、主催者によると「馬場さんの名が付く興行はこれが最後」だという。既に新日本プロレスと全日本プロレスの協力が決定しており、馬場さんの追善興行、ザ・デストロイヤーさんの追悼興行に続いて、新日本と全日本から選手が派遣される模様だ。
2月4日は、1982年に東京・旧東京体育館で、馬場さんと新日本から全日本に電撃移籍したらスタン・ハンセン氏がシングル初対決を行った記念すべき日で、曜日も同じだったこともあり、テーマとして『ジャイアント馬場vsスタン・ハンセン』が掲げられている。新型コロナウイルスの状況が読めないため、ハンセン氏が来日出来るかは未定だが、2人と縁があったドリー・ファンクJr.氏も協力を表明しており、レジェンド達が来日するかどうかも注目したい。
ハンセン氏は新日本で外国人のエースとして、アントニオ猪木氏のライバルだった1981年12月、馬場さんが社長を務めていた全日本マットに電撃移籍。故・ブルーザー・ブロディさんとミラクルパワーコンビを結成し、全日本のタッグ戦線では無敵の存在として、馬場さんや故・ジャンボ鶴田さん、天龍源一郎氏ら日本勢を大いに苦しめた他、ハンセン氏の師匠であるザ・ファンクスを相手に外国人選手の世代交代を成し遂げている。
ブロディさんが全日本から新日本に移籍すると、ハンセン氏はシングルプレーヤーとして活躍。全日本マットで数々のタイトルを獲得し、鶴田さん、天龍氏らと全日本の「明るく楽しく激しいプロレス」の中心選手として、故・三沢光晴さんや、川田利明氏、小橋建太氏らの壁となり、大活躍。馬場さんとはタッグを結成したこともある。2000年に引退を表明すると、2001年に東京ドームで開催された馬場さんの三回忌興行で引退セレモニーを行った。元PWF会長として引退後も全日本マットに顔を見せるなど、馬場さんを信頼する気持ちは今も変わらないようだ。
対戦カードは決定次第、発表されるが、「馬場vsハンセン」のテーマに添ったマッチメイクに期待したい。
(どら増田)