>>ナイナイ、15年ぶりにネタが好評! 若手時代から練っていた“売れるため”の戦略とは<<
ナイナイの『いいとも』初出演は1994年2月8日、テレホンショッキングのコーナー。彼ら2人の最初の出会いは同じ高校のサッカー部。出会いの瞬間についてタモリから聞かれると、矢部が「岡村さん、『夕やけニャンニャン』ご存知ですか?」と尋ねたのが始まりだったと明かすと、タモリは大笑いしていた。
そんなタモリとナイナイのレギュラー初共演は、そこからわずか2か月後、1994年4月から始まった『ジャングルTV 〜タモリの法則〜』(TBS系)。料理の各工程の担当者をルーレットで決める「ジャングルクッキング」など、まさにバラエティに富んだ企画が2002年まで続いた長寿番組だった。
だが、94年当時、彼らはすでに多くのレギュラーを持つ超売れっ子。そこで、タモリから「お前ら今、こんなに若くしてこんなに仕事してどうするんだ?この先しんどいぞ」と心配されたことを、先の『ぐるナイ2時間SP』で語り合っている。
すでにその頃には、ナイナイはタモリの家にも招待され、手料理をいただいたこともあるという。「僕らは唯一、若手で関西の芸人でタモリさんにどっぷりハマった」と岡村はのちに豪語しているが、確かにずいぶん可愛がられたようだ。
『いいとも』レギュラー初出演は1995年10月6日。2人は頭突きで瓦割りするという、今では考えられない衝撃デビューを飾っている。その後も彼らは、『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)を収録で行った際、ゲストにタモリを招いてトークしたり、あるいはタモリが2012年『FNS27時間テレビ』(フジテレビ系)の総合司会を務めた際にも、その中のテレホンショッキングコーナーに特別出演するなど、何かと接点を持ってきた。
また、『いいとも』打ち切りが知らされた後に呼ばれた「テレホンショッキング」では、岡村隆史が番組中に不定期レギュラーをタモリに直訴し、その座を獲得している。それだけタモリへのリスペクト、『いいとも!』への思いがあったのだろう。一方、矢部はちょうど妻の出産が控えていることもあって辞退している。
こんなエピソードもある。タモリは2009年ごろ、岡村から「もう死んでください。後がつかえてます」と言われたという。だが、タモリは「俺はお前らのフタとなってやる」「俺は今63だぞ。でも唄とか踊りとか三味線とかだと、90いくつの人間国宝の師匠が80歳の弟子を教えてんだぞ。63歳なんて孫弟子みたいなもんだ」と反論したという。タモリにとっては、それだけナイナイは刺激を受ける存在なのかもしれない。