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ナイナイ岡村、病気療養時にとんねるず石橋からもらった言葉を明かす 「めちゃイケ」と「みなおか」の違いも

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ナインティナイン・岡村隆史

 とんねるず・石橋貴明がMCを務める『石橋、薪を焚べる』(フジテレビ系)が19日深夜に放送。ナインティナイン・岡村隆史がゲスト出演した。

 フジテレビが河田町にあった時代(97年にお台場に移転)から活躍している2人は、現在の“お笑い第七世代”になぞらえて、自分たちは“河田町世代”だと語る。そんな中、「(ナイナイは)すぐに売れたイメージがある」という石橋。岡村は、とんねるずがMCをしていた集団見合い番組『ねるとん紅鯨団』(フジテレビ系)の芸能人大会と『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ 』(日本テレビ系)に立て続けに出演したことが大きいという。それまで関西で道を歩いていても何も言われなかったものの、番組に出たことで指を差されるように。「芸能人になれたと思って嬉しかったんですよ」と振り返った。

 『めちゃ×2イケてるッ!』が視聴率30%を獲得した際、岡村は石橋から「真面目にお笑い番組をやっていたら“結果”が出る」と言葉を掛けられたものの、当時は必死でやっていたため、視聴率はあまり気にしなかったという。『めちゃイケ』当時は「避けていたつもりはなかったですけど、ピリピリしていた」と岡村。『とんねるずのみなさんのおかげでした』班は、収録後に木梨憲武を含むスタッフらと食事に行き、次回の企画を考えていたこともあったが、『めちゃイケ』はそれがなかった。

 石橋も同番組に出演した際、武田真治らから「(岡村は)殻に閉じこもる」と聞いていたため、驚いたという。岡村は、『めちゃイケ』は総合演出の片岡飛鳥が先生で『学校』のようなものだったため、『みなおか』とは番組づくりの方法が違うのだと述べていた。
 「石橋から人生で一番苦しかったことを聞かれると、浪人時代との回答がありました。岡村は一浪して立命館大学に進学(のちに中退)しています。一年間一日最低でも8時間勉強していたそう。当時は国家公務員を目指していたものの、相方の矢部浩之が誘ったことをきっかけに芸人を目指すようになったそうです」(芸能ライター)

 2010年、岡村が病気療養で一時休業した話も。レギュラー番組などの撮影で忙しい中、舞台をすることに。脚本を直していると寝られなくなり、一気に気持ちが下がったという。休業するとなった時、石橋から「また(お笑いを)やりたくなったらやればいいし、ゆっくりしなさい」と連絡が来たという。
 「番組では語られていませんでしたが、休業した際、岡村の元には、石橋のほかにも、故・高倉健さん、ビートたけしらから手紙をもらい、明石家さんまやタモリ、故・志村けんさんからも連絡があったそうです」(同上)

 当時は「休みたくない」と思っていたものの、石橋らの助言通り休むと、気持ちが戻ってきたと回顧。休業明けは“すべて背負わなければいいんだ”という境地になったことで、誰かに頼る術も学んだことを明かしていた。

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