藤川は、1998年ドラフト1位で高知市立高知商業高等学校から阪神に入団。岡田彰布監督時代には、ジェフ・ウィリアムス、久保田智之とともに、勝利の方程式JFKの一角として、セットアッパー、クローザーとしてチームに貢献。岡田監督は、オリックスの監督時代にも、平野佳寿(現シアトル・マリナーズ)を後ろに回して、セットアッパーからクローザーに昇格させるなど、藤川の成功例を実践し、成功させている。
2013年からメジャーに挑戦した藤川だが、2015年シーズン途中に自由契約になると、残りシーズンを地元の高知の独立リーグでプレーし、2016年に阪神と再契約している。鳥谷は、2003年に自由獲得枠で阪神に早稲田大学から入団。キャプテンとしてチームを牽引していたが、昨シーズンのオフに自由契約となり、ロッテが獲得。藤川とは長きに渡り一緒にプレーしていた。
鳥谷は「本当にお疲れ様でした。マウンドでの投げている姿で、タイガースにいい影響を与え続けて来られた方。まだ今シーズンは残っていますので投げている姿を見たいと思っていますし、多くの人に見てもらいたいと思います」と藤川を労うだけではなく、阪神に与えた影響について語っている。
藤川は日米通算250セーブまで、あと5セーブと迫っており、8月10日を最後に一軍登板はなく、8月13日には登録抹消されている上、今年はスアレスが主にクローザーを務めているが、この記録は何とか達成してもらいたい。
(どら増田)