藤本というと、2000年4月に開催されたモーニング娘。の追加オーディションの最終選考で落選するも、01年10月、ドラマ『新・美少女日記』(テレビ東京系)で芸能界デビュー。02年3月にシングル『会えない長い日曜日』でソロ歌手としてデビューし、その年の『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。
2003年1月にモーニング娘。の6期メンバーとして加入し、07年5月、リーダーに就任。ところが同年同月、のちに夫となる品川庄司・庄司智春との交際が『FRIDAY』(講談社)に報じられ、同年6月グループの脱退を表明した。09年7月、庄司との結婚を発表し、12年3月に長男、15年8月に長女、そして今年1月に次女を出産している。
“ママタレ四天王”の一角として名を馳せる藤本は、同世代のファンが数多い。若くして芸能界に入り、常識も人一倍培ってきただろう。だが、ふとした瞬間に自分が出てしまうのか、発言で批判を集めた“黒歴史”があるようだ。
2010年1月、元・モーニング娘。・後藤真希の母の通夜が都内の斎場で営まれ、藤本も弔問に訪れていた。藤本はかつて後藤と歌手の松浦亜弥とともに期間限定ユニット・ごまっとうを結成していた仲である。
報道陣にインタビューを求められた藤本は、「ご冥福をお祈りいたしますって感じですね~」とあっけらかんとした口調で応えた。これに、ネット上ではバッシングの嵐が巻き起こった。
「当時、24歳だった藤本ですが、年相応の発言とは思えません。通夜の前に参加したイベントでは後藤の母の死について触れていますが、その表情は“沈痛”とは程遠かったそうです。弔問には元メンバーたちも訪れていましたが、場にそぐわない派手な格好のメンバーもおり、グループ全体が批判を集めていました」(芸能ライター)
この他にもママタレ代表として数々の発言で世間を騒がせてきたが、そもそも元ヤン的逸話が多く、ネットをにぎわせたことがある。かつてグループのメンバーだった田中れいなだが、芸能界に入る前は筋金入りのヤンキーだったというのは有名な話。その田中に藤本が罵声を浴びせノックアウトしたという情報が世に出回ってしまったようだ。
過去にライブの楽屋内での音声が表沙汰になったことがあるのだが、その音声では藤本が田中に、「オメーよ、メール送るならさっさと送れよ!そんなコミュニケーションいらねっつってんだよ」と悪態をついたというのだ。
恐れをなして言い訳をする田中に、「ねぇ、イライラする」と藤本は容赦なく一喝したのだとか。さらには、自分の私物に触れようとしたメンバーには、「触んなよ、オラァァ!」と恫喝まがいの巻き舌でまくし立て、「触ってません‥‥」と涙声で訴えるメンバーの声で音声は途切れたという。
アイドルとしてにわかに信じがたい話だが、これを聞いたファンは藤本に幻滅し、ネット上ではしばらく論争が繰り広げられていたようだ。
3児の母として日々奮闘しながらも、仕事との両立をこなしている藤本。だが、失言で周囲を凍りつかせる素質もあることから、これまで堅持してきた“ママタレ”の椅子を失う可能性もなきにしもあらず。言葉選びにはより一層の注意が必要とされるだろう。