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紅白の舞台で、とんでもないものから白い液体を顔面に浴びせた本木雅弘 謎の演出の意図は?【有名人の消し去りたい“黒歴史”】

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本木雅弘

 新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るっている。その影響はメディアにも及び、各局は収録が不能な状況である中26日に放送された、俳優・長谷川博巳主演のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の第15回は、平均視聴率が14.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録。だが現在、同ドラマの撮影は延期され、GW明けには再開されるというが、この様子だと見通しは悪い。

 同ドラマのみどころのひとつであるのが、脇を固める豪華俳優陣だ。特に、斎藤道三を演じる俳優・本木雅弘の怪演はこれまでに猛反響を呼んでいる。
 本木というと、1981年放送のドラマ『2年B組仙八先生』(TBS系)でデビュー。82年にアイドルグループ・シブがき隊のメンバーとして、タレントの布川敏和・薬丸裕英とともに、同年5月発売のシングル『NAI・NAI 16』で歌手デビュー。間もなくしてトップアイドルの地位を築き上げた。

 88年、シブがき隊を“解隊”後、本木は俳優活動を開始。89年にジャニーズ事務所を退社した。同年12月公開の初主演映画『ファンシイダンス』では、役作りでスキンヘッドにしたことで話題を呼んだ。91年には、写真家・篠山紀信氏撮影によるヘアヌード写真集『white room』(朝日出版社)を出版。男性のヘアヌード写真集は世間の話題をさらい、本木から“元シブがき隊”というイメージを排除した。

 勢いに乗った本木の快進撃はとどまることを知らなかった。暴走の果てに大バッシングを浴び、今となっては“黒歴史”として語り継がれている。
 本木は俳優のかたわら、ソロ歌手として活動していた時期がある。92年12月、本木は初出場のNHK紅白歌合戦で歌手・井上陽水の名曲『東へ西へ』(72年発売)をカバー。だが、登場した本木の首には、白い液体入りのコンドームがいくつもぶら下がっていた。また、尻を露出する過激なパフォーマンスをサプライズで行い、物議を醸したのだ。

 それだけではない。終盤には、巨大に膨らませた白い液体入りのコンドームらしき物体を頭上で割り、自ら顔面に被ってフィニッシュした。当然、NHKは“寝耳に水”。お怒りはごもっともだが、お茶の間で凍り付いた視聴者からは抗議の電話が100件以上も鳴り続けたという。
 この演出にはエイズ撲滅へのメッセージが込められていたと、本木は説明したというが以降、本木が『紅白』に姿を現すことはなかった。
時を隔て、本木は今年3月に放送された同局の『プロフェッショナル 仕事の流儀』で当時の心境を語っている。

 本木は、「一つ売りになるとすれば、その無謀さかなっていう。もともとの自分がすごく凡人であるっていう。だからお尻を出したら許してくれますか?過激なことをしたら許してくれますか?本物のように見える偽物である自分をある意味覆い隠すような気分」と素顔をのぞかせ、「空虚な20代」と振り返った。
 私生活では1995年に、かつて通訳として本木に同行した故・内田裕也さんと故・樹木希林さんの長女でエッセイスト・内田也哉子と結婚。当時17歳だった也哉子の婿養子となり、97年に長男でモデル・UTA、99年に長女で女優の伽羅、10年に次男の3児をもうけた。

 俳優として名を成す本木だが、現在にたどり着くまでに紆余曲折もあっただろう。だが、常に話題の中心にいたことも確かである。ジャニーズから独立し、数少ない成功者のひとりとして、改めて本木の偉大さを実感したのではないだろうか。

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