先輩・後輩ながら、20年来の友人関係だという2人。2001年、ジュニアがバイク事故を起こして生死をさまよい、長期入院をした際には、献身的にサポートしていたそうで、ジュニアは「今あるのはYOUさんのおかげ」と振り返った。オードリー(若林正恭、春日俊彰)は、そんなジュニアが復帰した、千原兄弟のトークライブ『チハラトーク』に観に行ったと語る。当時は、まだジュニアの顔も腫れており、サングラスをして出演。イベント内で「顔で笑いを取ることもあるかも」とサングラスを取ろうとしたというジュニア。まず、相方である兄・千原せいじのみが確認することになったが、せいじは大笑い。そんなやりとりを観て、若林は「(事故で)顔ケガしているのに、笑われなきゃいけないんだと思って……芸人になるの辞めようかなって思った」と話した。
「せいじが一度もジュニアの見舞いに行かなかったというエピソードは有名ですが、ジュニア曰く、見舞いに来てくれた先輩や後輩一人ずつにお礼を言いに行っていたそうです。春日らが『いい話!』と感動するも、ジュニアは『こないだの2つの不倫で帳消し』と笑わせていましたね」(テレビ誌ライター)
トークは、ジュニアが尖っていた若手の頃の“ジャックナイフ”時代の話に。当初は何%の人かが「自分たちの笑いを分かっていればいい」というスタンスだったものの、数年後、雑誌の取材で「千人いたら千人笑わせたい」と語っていたと若林。笑いのスタンスが変わったのは、先輩芸人・板尾創路の影響だという。板尾は、20代前半当時のジュニアの“テレビの出方”について注意。「地球上のほぼ(全員)お前より年上や。街歩いていても、みんなお前のことを『ジュニアさん』って呼ぶ。志村けんさん見てみ。志村さんは、街歩いてても、みんな『志村』って呼ぶやろ。あれが芸人のあるべき姿や」と注意されたことを明かしていた。