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カンニング竹山のパワーエリアが都内中野である理由

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カンニング竹山

 東京五輪の延期に伴い、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐためのイベント自粛に拍車がかかりそうだ。政府が自粛や延長・中止を呼びかけて、およそ1カ月。早い段階で動いたのは、カンニング竹山だ。2月下旬、早々と東京・中野サンプラザで3月17日に予定していた単独ライブ「放送禁止」の開催延期を発表している。
 中野サンプラザといえば、アイドルコンサートの聖地にして登竜門。80年代から多くのタマゴたちが夢舞台に立ち、巣立っていった。

 中野は芸人タウンでもある。安価で借りられるマンションが多く、無名・貧乏芸人が上がれるお笑いライブがしょっちゅう行われているからだ。食えない時代は、この街で腕を磨いた芸人は多い。竹山もそんな1人だ。
 「地元の九州(福岡県)から上京して、いちばん最初は西荻窪、次に高円寺に住んだ竹山さんですが、以降のおよそ20年間は中野在住でした。漫才師・カンニングにとっては第二のふるさと。21歳のとき、福岡時代の同級生で元相方となる中島忠幸さん(故人)とコンビを組んだころは、夜中に中野サンプラザを見上げながら駅前広場で毎日稽古。サンプラザに入っているホテルを見て、『いつの日かあのホテルに泊まりたい』と気持ちを強くしたそうです」(スポーツ新聞の芸能担当記者)

 変化を感じたのも、中野だ。所属する大手芸能プロダクション・サンミュージックにお笑い部門「GET」を立ち上げ、後進の育成に当たっていた大先輩のブッチャーブラザーズが、なかの芸能小劇場で開催していた月1ライブ「東京ビタミン寄席」に定期的に出演。芸能界のセオリーなど知らず、爪痕を残すことに必死だったため、放送禁止用語を言いまくった。その模様が中野のケーブルテレビで放映されると、ライブは長蛇の列ができるほど大人気となった。
 「『エンタの神様』(日本テレビ系)でもその過激なネタをちゅうちょなく披露していると、ジワジワ人気と知名度がアップ。いよいよこれからという2004年、中島さんが急性リンパ性白血病で闘病生活に……。祈りは通じず、06年12月20日に死去しました。ソロのタレントになった竹山さんが“カンニング”の冠を取らないのは、元漫才師、中島さんがいたという証です」(先の芸能記者)

 中島さんは生前、JR中野駅北口から徒歩1分のところにある「サンモール商店街」内の「惣菜屋 健康食卓わしや」でアルバイトをしていた。芸人収入では食えないためのバイトだったが、カンニングとして売れる直前には店長まで昇格。近所のおばさんに愛されていた。隣接していたお菓子屋で働いていた女性と恋に落ち、交際、結婚。もうけた男児の成長を見届けることなく、逝ってしまった。

 20代からの時間をともに過ごした中野と中島さん。竹山にとってはかけがえのない財産だ。
(伊藤由華)

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