そんな中で複数見受けられるのが、「感染拡大の影響で帰国・退団する助っ人が現れるのでは?」という声。新型コロナへの不安を理由に“職務放棄”する可能性を指摘する意見だが、実際に2011年には、東日本大震災による影響を理由に帰国・退団した助っ人がいる。
2011年1月に巨人が獲得したバニスターは、メジャー時代にシーズン12勝をマークしたこともあった先発投手。そのため、先発ローテの一角として稼働することが期待されていたが、福島第一原発事故への不安を理由に3月15日に母国アメリカへ“家庭の事情”という名目で無断帰国した。
これを受けた球団は何度も再来日を要請するも、バニスターはいっこうに日本に戻ってこず。そのため、巨人はバニスターを他球団への移籍が制限される「制限選手」として申請し、NPBもこれを受理して4月2日に公示。ただ、その後当人から「もう野球はやらない」という申し入れを受けたことにより、同月26日に通常の引退選手と同じ扱いである「任意引退選手」として公示された。
2009年オフに楽天に入団した中継ぎ投手のモリーヨは、右ひじの炎症に見舞われたこともあり来日1年目の登板数はわずか7試合。ただ、球団は翌年も契約を継続するなど、セットアッパー、クローザー候補として期待をかけていた。
しかし、震災発生後の3月下旬に“家族を安心させるため”と母国ドミニカに一時帰国したモリーヨは、その後再来日しないまま4月上旬ごろに“震災で精神的な打撃を受けた”という理由で自主的な退団を申告。これを球団側も了承したことで、4月14日に退団することが発表された。なお、モリーヨはその後マイナーリーグや台湾リーグでプレーしている。
2010年オフに横浜が獲得したリーチは、震災後の3月17日にチームに所属する他の助っ人たちと共に母国アメリカへ一時帰国。ただ、他の助っ人が再来日する中、リーチは家族の反対を理由に再来日しなかったため、4月1日に「制限選手」としてNPBに公示された。
リーチはその後「このまま退団だろう」という大方の予想を裏切り、7月8日に再来日したため同日付で「制限選手」から支配下に復帰。ただ、不安でプレーに身が入らなかったのかこの年、8試合の登板で挙げた白星はわずか1勝。結局同年オフに自由契約となり、以降はマイナーリーグでプレーを続けている。
上記の3名はいずれも、家族の存在が帰国・退団と密接に結び付いている。リーチのように家族から大反対を受けて自身の行動が押さえ付けられるパターンもあるため、各球団の担当者は助っ人本人だけでなく家族の意向もしっかりと見極める必要があると言えそうだ。
現時点では新型コロナへの不安を理由に、帰国・退団した助っ人は1人もいない。ただ、今後の状況次第では、この懸念が現実のものとなる可能性も否定はできないのではないだろうか。
文 / 柴田雅人