雨上がり決死隊は90年代、ナインティナインやFUJIWARAなど吉本の若手芸人で結成されたグループ吉本印天然素材(通称てんそ)のメンバーとして活躍する。だが、毒気のないコントやダンスばかりやらされるアイドル的な売り出し方に、宮迫は不満を示し、スタッフと喧嘩別れするような形で1996年にグループを脱退し、東京進出を果たす。
勢いで東京進出は果たしたものの、仕事はまったくない状態が続いた。当時、宮迫の遊び相手は今田耕司か、ナイナイ岡村しかなく、2人は仕事も忙しいため、なかなか会う機会がなかった。宮迫が当時住んでいた物件は日当たりの悪い家賃7万円の部屋だった。当時の宮迫は「一人で真っ暗な部屋で体操座り」状態だったという。
ある日、食事をしようと外へ出るも、たまたま入った中華屋で冷たくあしらわれてしまう。相次ぐ「負の連鎖」にヤケになった宮迫は、気づくと目をつぶって赤信号を渡っていた。すると、トラックが急ブレーキをかけて止まり運転手から「死にてぇのか。バカヤロウ」と怒鳴られる。宮迫が静かにうなずくと、運転手からは「死んじゃダメだって」と説得されたという。
自殺を考えるまでに追い込まれていると気づいた宮迫は、このままではヤバイと思い、長らくまともに話をしていなかった相方の蛍原徹に連絡を取り、「仕事を選ばない」「先輩の酒の席を断らない」といった今後のビジョンをきっちりと話し合ったという。
軌道を立て直し徐々に仕事が増え出し、1999年に出演した『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』(日本テレビ系)での大暴れが話題となり、本格的なブレークへと繋がる。
現在の宮迫の境遇は90年代末以来のピンチと言えるが、何とか再浮上して欲しいところだ。