みのは水道メーターの製造販売を手掛ける会社の代表を務め、今年で創業80周年を迎えるという。今後は、社員を抱える社長として事業に専念するようだ。
みのというと、1967年に文化放送へ入社し、アナウンサーとして活動していた。その後、ラジオ『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)、『パックインミュージック』(TBSラジオ)で深夜放送ブームに火がつき、69年に始まったラジオ『セイ!ヤング』(文化放送)で初代パーソナリティに抜擢された。
1979年9月に文化放送を退社したみのは、10年間は家業の営業に専念した。だが、再びアナウンサーとして発起すると、『なるほど!ザ・ワールド』(フジテレビ系)の国内リポーターや、『オールナイトフジ』(同)でオールナイターズの実家を訪ねる「深夜の家庭訪問」などを担当。やがて、お茶の間を沸かすコミカル系サブ司会者として認知されるようになった。
私生活では、大学時代に知り合った故・御法川靖子さんと1970年に結婚し、子宝にも恵まれ、2男1女をもうけた。また靖子さんはみのと結婚後、みののスタイリストを生涯にわたり務め、おしどり夫婦としても有名だった。そして、みのは「こうして僕があるのも妻のおかげ」と周囲に口にしていた。だが、夫婦には1度だけ危機があったという。
みのは、1989年4月から情報番組『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ系)の司会に抜擢された。番組は高視聴率をたたき出し、一気に名司会者の地位を築くに至った。だが、91年5月にみのは番組アシスタント・高橋佳代子アナウンサーとの不倫疑惑を『FLASH』(光文社)に報じられたのだ。
みのは、この報道を否定した。そして、靖子さんはそれを承諾した上で、「未婚の女性(高橋アナ)にご迷惑をおかけしたことは、申し訳ないことなのよ」とみのを一喝し、みのは正座をさせられたようだ。
だが、靖子さんはこれで終わらなかった。みのに同行し、迷惑をかけたテレビ局へ一緒にお詫び行脚して頭を下げて回ったという。おかげで騒動は鎮火し、夫の不始末は“内助の功”で一件落着となった。その後、番組は継続され20年続く人気番組へと成長。2007年9月に終了した。
みのは、2019年5月発売の同誌で当時のことをこう振り返っている。「あのときの女性カメラマン、懐かしいな。あの方お元気?よろしく言っておいてください。あのときは大騒ぎになったことを、覚えています」。騒動を懐かしみながら、「高橋佳代子さんは名アシスタントでした。彼女がちゃんとフォローしてくれるおかげで、私は番組内でいくらでもヤンチャができました。懐かしいね。イケイケどんどんで楽しいときだったからねえ」と、かつて疑惑をかけられた高橋アナを称えた。そして、「(不倫報道は)マイナス面よりも、むしろプラス面の方が大きかったですね」と最後はスキャンダルに感謝した。
最愛の妻は2012年5月、家族に見守られ天国へ旅立った。靖子さんは亡くなる間際に翌月半ば分までの、みのの衣装を靴下まで全て調えていたという。かつての名司会者へと導いた妻のサポートは計り知れない。生涯、みのに尽くした靖子さんは悔いのない人生を歩んだのだろう。