1984年、同名の主演映画のサウンドトラックとして発売され、全世界で1500万枚も売り上げたプリンスのアルバム「パープル・レイン」。もう、すでに有名だったマイケル・ジャクソン、デュラン・デュラン、デヴィット・ボウィ、カルチャー・クラブ、シンディ・ローパーなど洋楽黄金時代を知る記者世代(40代前半)にとっては背筋が震えるほど懐かしいアルバムだろう。記者もナゼか高校3年間、音楽はプリンス一色だった(後半、光ゲンジ入る)。
寸分の狂いも無い振り付けがついているM・ジャクソンに比べ、プリンスのライブパフォーマンスはとにかく自由。音楽も、若い頃のJ・B(ゲロッパね)のようなジャズやファンクのフリースタイルが基盤となっていて、機械的なマイケルに比べて優雅さがあった。彼の華奢な体と美しい瞳はなぜかアジア人を意識させて(曲も時々インド風)、その辺も黒人意識の高かったマイケルに比べ、日本人には親しみやすく純粋に音楽を楽しめたのかもしれない。
しかし当時のプリンスは、少女趣味の衣装やオカマっぽい声などから日本ではマニアックなアーティストとして分類され、一部の「アンチM・ジャクソン派が熱狂的に支持している」みたいなイメージがあった。女子高生だった記者もファンとして肩身が狭かった。しかしその後、スターのプレッシャーからとち狂ったマイケルや、どっかの麻薬付けのマネマネ日本人と違い、えらくマトモな人生をひた歩むプリンス。2回離婚しているが、見た目もさほどかわらず、今はまあ日本で言うと郷ひろみのようなポジションにいるらしい。
過去2回のものすごい来日コンサートに比べ、一時間待たせてサッと歌って帰った「バット・マン」のドーム・コンサートが不評だったせいもあって(主題歌を歌った「バットマン」の映画も日本では大ゴケ。)90年代以降、目立った活動の情報が海を渡って日本まで来なかったプリンス。どうやら本国でも、レコード会社とのトラブルに見舞われてた様子。それから10数年たち、インターネットによる音楽配信にいち早く注目し見事復活。現在は、勝ち組アーティストとして世界を飛び回っている。時たま海外セレブニュースに最近の動向が取り上げられているが、日本でも今だ熱狂的なファンによるサイト(「パーティマインド」http://www.partymind.org/index.html)などに情報が寄せられている。
最近CD発売するアルバム曲が過去にくらべて少々おとなしめになったのと、特殊な販売方法で曲を売るのでネット・ショッピングに抵抗がある人には買いづらくなったプリンスの楽曲。まだファンはたくさんいるし、今でも十分売れる最後の洋楽ビックネームなのだが、当の殿下がこれだと日本の洋楽はどんどん衰退してしまう。ここらでサマソニあたりの大物ゲストとして来日してくれると、洋楽市場も活気付くと思うのだけど…。なぜか生前のマイケルや現在のマドンナに比べて日本では極端に露出が少ないプリンス殿下、誰か彼を日本に来るように説得してください!(コアラみどり)