このイチョウは、樹齢推定250年から300年。道路拡張により何度か移植されたのち、現在のビルの谷間に挟まれた場所に立っています。
誕生八幡神社のイチョウは、冬の今の時期は、葉が落ち裸木の状態です。また、イチョウの木の周囲は、布のようなもので覆われていました。この覆いは、品川区役所の文化財・天然記念物担当者によると、根を育てるための処置の一環とのことでした。
また、秋にはイチョウの葉が黄色に色づくとのこと。
品川区にあるこの誕生八幡神社は、文明年間(1469-1487)に、福岡県にある宇美八幡より勧請(かんじょう)されました。
勧請とは、祭神の霊を分けてもらうことです。源頼朝は、鎌倉幕府を開くときに、鶴岡八幡宮(鎌倉市)を現在の場所に建て、八幡様を勧請してもらいました。
また、石清水八幡宮(京都府)は、平安時代の初めのころ、南都の僧であった行教が宇佐宮にこもり、「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」という託宣を受けたことがはじまりと伝えられています。
このように、各神社の勧請元をたどると、総本社と呼ばれる神社に行きつきます。八幡様の総本社は、宇佐神宮(大分県)。奈良時代の「宇佐八幡宮神託事件」が有名です。
「宇佐八幡宮神託事件」では、皇位を狙ったとされる道鏡派が、八幡様から神託があったと告げます。朝廷は、真意を確かめるため、和気広虫(わけのひろむし)の弟・和気清麻呂(わけのきよまろ)を、宇佐神宮に派遣しました。
その和気清麻呂像が、皇居周辺の内堀通りの脇、気象庁前交差点付近(千代田区)に建っています。
八幡様は、武運だけではなく、安産、交通安全、学芸上達など、幅広く人々を見守っています。品川区の誕生八幡神社を訪れた時も、地元の人々が、イチョウの間を抜けて、八幡様の前で手を合わせていました。(竹内みちまろ)