何ともミスマッチな墓石と人、そして文字の取り合わせだ。墓石とセットという事は幽霊なのかも知れないが、この人物には足がある。さて、この人物は何なのか?
実はこれ、江戸時代のパフォーマーでありサンドイッチマン(広告マン)だったようなのだ。江戸時代でも珍しいタイプのパフォーマーだったらしく、『絵本風俗往来』や明治〜昭和期のジャーナリスト・宮武外骨が自身のエッセイにて書き記している。
この墓は高さ2尺あまり(約60センチほど)で紙張り子でできており、非常に軽いもの。これを自身の腰にくくりつけて上半身を隠すようにし、自分の顔をわ ざと青白く塗って幽霊に扮する。そして、往来に出て子どもなどが大勢遊んでいるような所へ行って後ろからそっと近づいていき、背後から「恨めしや〜…」 と行って子どもを驚かすのだ。
当然、子ども達は驚いたりかえっていたずらしてきたりするのだが、そこで人が集まってきた所で宣伝をしたり、商売繁盛祈願をして日銭を得ていたのだという。
今でもよく知られた百物語の作法などは江戸時代に成立したものだ。これをはじめ、江戸時代はこういった魑魅魍魎の類を恐れつつも一部でマスコットのように 考えていた事が分かる。ミスマッチな「商売繁盛幽霊」が今で言う一発屋芸人のようなジョークキャラとして受け入れられるほど、昔の日本では狐狸妖怪は身近 な存在だったと言えるのではないだろうか。
(山口敏太郎事務所/画像は宮武外骨の著作より)