堺出身の千利休は、武野紹鴎に師事し、禅の心を茶に取り入れた。信長・秀吉に仕え、秀吉から切腹を命じられた。千利休が確立した茶の道の基礎は、茶の世界にとどまらず、日本人の生活と文化に影響を与え続けている。
茶の湯とは、なんなのであろう。4畳半、子どもでもかがまないと通れない「にじり口」、花は一輪、水は一勺一勺。それが信長の中の何かをつかみ、秀吉の心をとりこにした。千利休は「自分が死んだのち、百畳、二百畳の茶となるべし。これ、利休が罪なり」と語ったという。
大河ドラマの中で、江は、市から織田家の誇りを託されている。同時に、自分の信じるままに生きることを命じられている。このことは、江が、「織田家の女の戦国」という呪縛から解放されていることを意味する。「織田家の女の戦国」に殉じた市には、娘の江を呪縛から解放する資格があった。いっぽうで、呪縛から解放されたことは、(織田家の女の戦国ではなくて)自分自身の「戦国」を見つけなければならないという使命を江に与えた。
『江』では、信長の人生は、乱世に生きた「男の戦国」として描かれている。市の人生は、乱世に殉じた「女の戦国」。3姉妹の前に広がるのは、そのどちらでもない「戦国」。信長とも、秀吉とも、浅井長政とも違った形の、それでいて、それらに一歩も劣らないすさまじい「戦国」を生きた利休から、茶をふるまわれていることが印象深い。
江が生きる「戦国」とはなんなのか。江は何を求め、何を見出すのか。引き続き、茶の湯に注目したい。(竹内みちまろ)