ただ、当時も今も変わらないのが時計の速い馬場であるということ。そして、1999年の関屋記念を制したリワードニンファが叩き出したレコード(現レコードはマグナーテンの1分31秒8)は、左回りの現コースにかわった今でも破られていない。
毎年、暑い盛りに行われるGIIIにしては重厚なメンバーがそろう関屋記念だが、この年もなかなか豪華だった。1番人気に支持されたのは5歳になっても安田記念3着など、3歳時の輝きが忘れられないスピードワールド。これに前哨戦の朱鷺Sを勝ったエアガッツが続き、3番人気には14カ月ぶりの出走となった実力馬ブラックホークが推された。リワードニンファはその次。重賞勝ちこそなかったものの、ターコイズSやエプソムC(3着)で見せた強烈な追い込みに期待が集まっていた。
ノストラダムスの大予言が何事もなく過ぎ去った8月8日は、強い日差しが雲にさえぎられることなく、芝生の緑をより濃密に際立たせた。
レースはハナを奪ったコクトジュリアンが6F並みのハイラップを刻んでいく。最初の3Fが32秒8、1000メートルは56秒0。これをニンファは10番手という普段通りの位置で追走した。
直線に向くと、好位から早めに抜け出したブラックホークを一気にとらえ抜き去った。追いすがるスピードワールドは敵ではない。その一瞬のスピードは、オークス馬イソノルーブルも出した父ラシアンルーブル、そして母の父トウショウボーイから受け継いだ宝物だったのだろう。
2馬身1/2差の完勝。さらに驚かされたのは、1分31秒6という走破時計だった。日本の競走馬がマイル戦で初めて1分32秒の壁を破った。94年の京王杯AHでサクラチトセオーが樹立した1分32秒1をほぼ5年ぶりに、0秒5も更新したのだ。それも2年後にはゼンノエルシドに0秒1塗り替えられてしまうが、ニンファの示した非凡な才能はまったく色あせるものではない。
その後は勝ち鞍に恵まれず、2000年の京王杯AHを最後に引退、繁殖生活に入った。まだこれといった活躍馬を出していないが、この7月、6番仔のリワードインティマ(父マーベラスサンデー)がデビュー。5着とまずまずの滑り出しだった。今後の活躍に期待したい。