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“常勝軍団”の平成…三冠王から名捕手まで、福岡ダイエー・ソフトバンクを振り返る

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画像はイメージです

 球団別に平成時代を代表する選手を振り返りたい。今回取り上げるのは、平成に入り南海からダイエーホークスとなり、大阪から福岡に移転し、暗黒時代を乗り越え黄金期を迎えた福岡ソフトバンクホークスだ。

1松中信彦

 新日本製鐵君津時代にアトランタオリンピックに出場。4番として活躍し、決勝のキューバ戦では一時同点となる満塁ホームランを放つ。アマ時代の十分な実績を引っさげ、ダイエーホークスに入団する。

 2年間は社会人時代に使用していた金属バットと木製バットの違いに苦しんだものの、3年目以降は主軸として活躍。城島健司・小久保裕紀・井口資仁とともに100打点カルテットとして他球団を震え上がらせた。

 特にその勝負強さを特筆モノで、2003年から05年にかけては3年連続120打点を達成。2004年には44本塁打、打率.358で、平成唯一の三冠王も獲得し、名実ともに「平成最強打者」となった。

 弱小だったダイエーホークスが常勝となった要因の一つに、間違いなく松中の存在があった。

2城島健司

 1994年オフに別府大付属高校からドラフト1位で入団。当初駒澤大学進学を表明していたが、「球界の寝業師」と言われた球団社長の根本陸夫氏が強行指名。翌年から監督に就任する王貞治氏の直接出馬もあり、入団となった。

 入団から2年間英才教育を受けると、3年目に才能が開花。1997年には打率.308、15本塁打を記録し、レギュラーに定着する。リード面については当時評価が低かったが、当時投手として活躍していた工藤公康の直接指導で徐々に力をつけ、1999年はチームを移転後初となる優勝・日本一に導いた。

 2000年以降は不動の捕手として君臨し、2003年には打率.330、34本塁打、119打点という成績を残し、チームの優勝・日本一に貢献。MVPを獲得。平成の「強いホークス」を支えたのは、城島の打撃とリードだった。

 その後2005年オフにFAでシアトル・マリナーズに移籍し、2010年から3年間は阪神タイガースでプレーした城島。その存在は、記録以上に大きなものがあった。

3攝津正

 2008年オフにJR東日本東北からドラフト5位で入団。社会人野球8年目にして夢を叶え、プロの舞台に足を踏み入れる。

 すると初年度から力を発揮し、セットアッパーとして毎日のように登板。その登板数は実に70試合で、球団記録を更新。防御率1.74、34ホールドで新人王を獲得した。

 さらに2年目も勝ちパターンのセットアッパーとして獅子奮迅の活躍を見せ、71試合に登板。2年連続70試合登板は、あの稲尾和久氏以来。2年連続で最優秀中継ぎ投手賞を受賞している。

 2011年から先発に回るが、こちらでも抜群の安定感を見せエースに成長。2012年には17勝5敗、防御率1.91の好成績で最多勝、沢村賞を獲得。2015年まで5年連続二桁勝利を達成した。

 2016年以降は故障に苦しみ一軍で満足な結果が残せず、2018年に戦力外通告を受け、最終的に引退を選択。平成後期のエースは、ひっそりとマウンドを去った。社会人で8年、プロで10年の現役生活は、見る者に数字以上のインパクトを与えた。

 平成初期はBクラス常連だったが、31年間で「強豪」の輝きを取り戻したホークス。今後もソフトバンクの豊富な資金をバックに、「常勝」を維持していくものと思われる。

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