快挙の始まりとなったのは、2回に回ってきた第1打席。2死一、二塁からライトに打球を打ち上げると、落下点を誤ったネフタリ・ソトがこれを後逸。一度はエラーのランプが灯るも、記録が訂正されラッキーな2点三塁打となった。
続く第2打席(4回)で右前打、第4打席(8回)にはソロ本塁打を放ち、残すは二塁打のみとなった梅野。その後、2死満塁から福留孝介が打球を打ち上げたことで、挑戦への道のりは断たれたかのように思われた。
しかし、ここでソトが2回目のエラーを犯すと、これを機に打線が繋がったことで奇跡的に2度目の打席が到来。右中間を破った梅野は三塁まで到達したものの、その前にエフレン・ナバーロが憤死したことにより記録は二塁打。結果的にサイクルヒットが完成し、虎党の大歓声を一手に浴びることとなった。
左足薬指骨折でコンディションが万全ではない中、球史に名を刻む大記録を打ち立てた梅野。これを受けたネット上には、「骨折しながらサイクル打つとか凄すぎ」、「怪我の功名とはこのことか」、「逆転勝ちより梅ちゃんの活躍の方が嬉しい」といった称賛の声が数多く寄せられている。
史上69人目、平成では31人目の“サイクルヒッター”となった梅野。もちろん、記録達成の難しさはこれだけを見ても一目瞭然だが、「捕手」という観点から見るとその“レア度”はさらに高くなる。
平成のプロ野球において、捕手で出場してサイクルヒットを達成したのは田村藤夫(日本ハム/1989年10月1日)、細川亨(西武/2004年4月4日)の2名のみ。また、昭和に対象を広げても、新たに該当するのは門前眞佐人(大洋/1950年6月27日)ただ一人だけとなっている。なお、大宮龍男(日本ハム/1980年7月29日)も捕手登録でサイクルヒットを達成したが、その試合では指名打者として出場しており、今回はカウントしていない。
ただでさえ達成困難となっている記録を、あろうことか骨折を抱えたまま成し遂げた梅野。“平成最後の大記録”といっても、全く差し支えはないだろう。
文 / 柴田雅人