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【不朽の名作】「触手責め」の元祖の絵を題材にした「北斎漫画」だが…いくらなんでも北斎が女のこと考え過ぎ

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パッケージ画像です。

 「冨嶽三十六景」などで有名な浮世絵師・葛飾北斎。生涯に何度も名前を変え、住居も転々としてきたこの人物を題材とした作品が、1981年公開の『北斎漫画』だ。

 タイトル名が、北斎が絵の手本として発行したスケッチ画集と同じになっているが、実は同作には、そのことについて扱ったシーンが一切ない。そのかわり、物語の中心となる絵がある。春画の傑作として名高く、度々創作物などで登場する「触手責め」の元祖とも言ってもいい「蛸と海女」だ。

 北斎こと鉄蔵を演じるのは緒形拳、同時代の読本作者で、劇中では北斎の数少ない理解者として登場する滝沢馬琴を西田敏行が演じている。この2人と北斎の娘であるお栄(田中裕子)が中心となって、北斎の生涯が描かれるのだが、同作は、北斎を扱った“伝記モノ”のはずなのに、若干“伝奇モノ”のテイストが入っている部分で珍妙な作品だ。元々原作が戯曲なので、そのあたりも関連しているのだろう。

 特に前半は完全に伝奇モノで、ヒット作がなく苦しむ若き日の北斎の前に、魔性の女・お直(樋口可南子)が登場する。この女が相手を破滅させるファム・ファタール的な扱いで、北斎はお直の裸体を描こうとするが、その魅力に影響され、創作活動もおろそかになり始める。また、養父・伊勢(フランキー堺)もその魅力とりつかれ、床入りを焦らされ続けた末に、首を吊って死んでしまう。しかも伊勢の自殺後、お直は一切の消息を絶ってしまう。以降全く登場シーンがない。この一連のシーンは、お直が、北斎の心境を変化させ、後に「蛸と海女」を生み出す理由付けに一応なっているのだが、控えめに言って意味がわからない。とりあえず、お直を意味深に艶めかしく脱がせて勢いで乗り切ろうという感がすさまじい。脱いでないと、ただ性根の悪い女にしか見えないのも若干困る部分だ。

 打って変わって、中盤は一番伝記風に仕上がっている部分だ。下駄の職人を辞め本格的に作家となった馬琴と、とりあえず有名にはなったものの、今度は散財が大きすぎて馬琴の家に金の無心に来る北斎とのやりとりが、かなりテンポの良いものとなっている。視覚的にも、広場でわらで作った巨大な筆を使い、巨大な達磨大師な絵を描いたりと派手だ。演じる緒形も当時のノリノリであっただろう、北斎をエネルギシュに演じきっており、ついでに、なにをやりだすかわからない危うさも表現し、かなりの存在感がある。

 そして、同作で一番の見どころと言っていいのが、「冨嶽三十六景」を描き終えた後の老年期で、北斎89歳、お栄70歳、馬琴82歳という年齢を、青年期と同じキャストが演じている。かなりコント的なノリが入っており、スキあらば笑わせに来る、緒形と西田の老人演技が最高だ。田中もかなりわざとらしい老婆っぽい演技となっている。普通ならば、この演技は違和感が大きいのだろうが、この作品だと、元々戯曲なので、ユーモアとして許せてしまう。

 この老年期に、再びお直そっくりの女性が登場し、老齢にもかかわらず、北斎は創作意欲をメラメラと燃え上がらせ大ダコが裸体に絡みつく「蛸と海女」を描くわけだが、ここで、北斎のイメージを表現したシーンがある。このシーンは、大ダコが作り物丸出しなのだが、樋口の裸体に巻きつくタコの足に、かなりのインパクトがある。主にエロ方面に。しかし、芸術家の狂気という部分を表現する方法としては、迷走気味だ。

 実は史実の北斎の作品としては、「蛸と海女」より「冨嶽三十六景」の方が後の作品となっている。この改変を考えても、絶対にクライマックスの一番盛り上がる場面で、富士山ではなく、裸体を持って来たかったという狙いはハッキリとわかる。70年代後半から80年代前半の邦画では、女優の潔い脱ぎっぷりの作品が多くヒットしたということで、映画で脱ぐことが大女優への登竜門とも言われていた。その流れにこの作品も乗っている形となっている。別に要所要所で出すのはいいのだが、伝奇要素のあるおどろおどろしさで隠しているものの、この作品では裸体シーンが過多状態で、とりあえず裸出しときゃなんとかなる感がすさまじい。

 逃げとまでは言わないが、もう少し芸術家としての北斎像を確実に描いて欲しい部分もある。特に老年期の場面は、演技もコント寄りなので、ただのエロジジィにしか見えない。お栄の使い所も若干もったいなさがある。同作のお栄は馬琴を生涯想い続け、独身を貫いていたという微妙な設定となっており、絵師である葛飾応為としての側面は皆無となっている。中盤あたりまで、喜多川歌麿(愛川欽也)、十返舎一九(宍戸錠)、式亭三馬(大村崑)と、同時期の絵師・作家が登場するのに、これもあまり活かしておらず、北斎とのやりとりも、江戸っ子会話どまりで、印象に残らない。

 そもそも北斎は、春画でも傑作を残しているが、浮世絵の範疇を超えた画題のための、資金稼ぎとしか見ていなかったという資料もあるので、「蛸と海女」を最高傑作に持ってくる描き方には賛同しかねる部分が強い。ここはやはり裸ではなく、富士山と北斎でラストを持って来るべきではなかったのではないだろうか。もしくはタイトルの「北斎漫画」を持って来るとか。破天荒なキャラ設定は悪くはないが、いくらなんでも北斎が女のこと考え過ぎだ。他のことが描写不足になるほどに。
 
(斎藤雅道=毎週土曜日に掲載)

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