織田信長のめいである「江」は、豊臣秀吉の養女となり、徳川2代将軍秀忠の妻として生涯を終えた人物。大河ドラマ『江』の過程では、全体の放映の半分を終えた現在、秀吉の天下統一が実現し、今後、豊臣政権の崩壊が描かれることが予想される。
その『江』のなかで、ここ数回の放映で、とみに存在感を増しているのが石田三成。『江』は、副題に「姫たちの戦国」とあるように、茶々、初、江の3姉妹の生き様を描くため、戦国武将や大名たちの活躍にはあまり焦点が当たらない。そのなかでも、三成はこれまでにも多く登場したが、描かれる姿は秀吉の命令を忠実に実行する部下という色合いが強かった。
その三成が、茶々が秀吉の子どもを生み、秀吉が天下を統一してからは、秀吉のおいである豊臣秀次に尊大な態度を取ったり、秀吉の茶道である千利休に対して、秀吉を見下しているのではないかと詰め寄ったりすることを始めた。周りの者たちもそんな三成の振る舞いを気にかけだし、秀吉の関心を独占したいため利休に嫉妬しているのではないかと口にする者も出始めた。しかし、利休の身辺調査の結果を三成が秀吉に報告する場面では、三成が、嫉妬や私欲のためではなく、世の悪評が秀吉にふりかかることを避けるため、利休に対して何らかの処罰が必要と進言している。
大河ドラマ『江』のなかの三成は、いまだ、秀吉の忠臣だ。その三成の存在感が増してきたということは、それだけ、秀吉が豊臣政権を自ら崩壊へ導く道を歩み始めたと解釈することもできる。しかし、肝心の三成自身の生き様や思想は、いまだ、大河『江』からは見えてこない。
『江』の第24回「利休切腹」で、秀吉と利休が2人だけで言葉を交わす場面が放映された。秀吉は、利休にはわかる茶の心が自分にはわからないことを、利休に告げた。“自分にはわからないことがわかること”はそれだけで人間の資質とされるが、天下統一を成し遂げたうえは明(=中国)や天竺(=インド)まで征服すると言い始めた姿とのギャップが、いっそう、秀吉という人物の奥深さを強調するようだ。
石田三成は、史実では、秀吉の死後、豊臣政権を支え、勢力を伸ばす徳川家康と関ケ原で戦った。関ケ原の戦いは、武田信玄と上杉謙信が国境近くの領土を奪い合った川中島の戦いなどとは戦争の規模もレベルも違う。歴史的には、源平の戦いなどに匹敵すると考えられることもある。
その関ケ原の戦いで主役を演じた石田三成という人物が、今後、どのように描かれていくのか。三成は何を信じ、何に身を捧げたのか。
『江』から、目が離せない。(竹内みちまろ)