9月28日、東京ドーム球場で行われた巨人対DeNA戦で、村田修一の引退セレモニーが行われた。試合前にはファンに向けてスピーチを、試合終了後には場内を一周。ライトスタンドからはジャイアンツ時代の応援テーマが、レフトスタンドからはベイスターズ時代の応援テーマが流れ、更にはジャイアンツとベイスターズの両チームの選手により、村田の守備位置であった“ホットコーナー”で胴上げされた。チームメイトに愛された男への涙の惜別の儀式は観客、選手ともに心を揺さぶらせた。
☆背番号25
村田はプロ入り後、一貫して”25”を背中に背負い続けた。それは今年所属したBCリーグ、栃木ゴールデンブレーブスでも同じ。16年の長きに渡り着けていたことで、代名詞たる番号になっていた。
ホエールズ時代での”25”番の代表的な選手は、2000本安打を達成し、名球会入りを果たしている松原誠。キャッチャーで入団しながら、スラッガーとして4番も務めあげた名選手だった。98年の優勝の際には、池田高校から南海ホークスに進み、テスト入団でやってきた畠山準が着けていた。その後、内川聖一が入団時に背負っていたことは、一年だけだったこともあり意外と知られていない。そして、現在は言わずと知れた“ハマの4番は日本の4番”筒香嘉智が背負っている。村田がベイスターズをFAでチームを去る際に譲り受ける形となった。歴史的にもスラッガーの番号だが、村田、筒香と二代続いた事で、余計その意味合いが濃くなった印象だ。
☆熱い男
FAでジャイアンツに移籍しただけに、ベイスターズファンの反感を買うことも多々あった。しかし、内川が2010年にFAでホークスに移った際は、二人いっぺんに主軸が抜けたらと、チームを憂いで残留を決め、諦めムードが蔓延しているチームを変えようと、全力疾走をチームに課し、それを中途入団の中村紀洋に対しても臆せず要求するなど、暗黒時代を抜け出そうと尽力したことは、れっきとした事実。
その姿勢は筒香がしっかり受け継ぎ、ベイスターズは暗黒時代を抜け、現在は戦う集団へと変貌を遂げた。移籍先のジャイアンツでは、岡本和真が25番とサードの座を継ぎ、今シーズン大ブレークを果たした。「男・村田」の遺伝子は、二人のスラッガーがしっかりと伝承する。25のバックナンバーと共に。
取材・文・写真 / 萩原孝弘