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芸能 2015年12月07日 18時23分
「M-1」 一番辛口審査だったブラマヨ・吉田敬
6日、「M-1グランプリ2015」が約5年ぶりに開催。総勢3472組の参加者の中から頂点に輝いたのは、敗者復活戦から奇跡の快進撃をみせたトレンディエンジェルの2人だった。 大注目を浴びた今大会。その中でも注目ポイントだったのは、何と言っても審査員たち。同大会の王者9名が審査員を務めた。審査員は以下。 中川家・礼二(M-1グランプリ2001年王者)、ますだおかだ・増田英彦(M-1グランプリ2002年王者)、フットボールアワー・岩尾望(M-1グランプリ2003年王者)、ブラックマヨネーズ・吉田敬(M-1グランプリ2005年王者)、チュートリアル・徳井義実(M-1グランプリ2006年王者)、サンドウィッチマン・富澤たけし(M-1グランプリ2007年王者)、NON STYLE・石田明(M-1グランプリ2008年王者)、パンクブーブー・佐藤哲夫(M-1グランプリ2009年王者)、笑い飯・哲夫(M-1グランプリ2010年王者)。 本大会では各審査員の持ち点が100点、合計900点満点で評価された。各審査員の採点は以下。⬛中川礼二メイプル超合金(87点)、馬鹿よ貴方は(88点)、スーパーマラドーナ(92点)、和牛(90点)、ジャルジャル(89点)、銀シャリ(91点)、ハライチ(92点)、タイムマシーン3号(93点)、トレンディエンジェル(94点)。最高得点94点、最低得点87点、平均得点90.7点⬛増田英彦メイプル超合金(85点)、馬鹿よ貴方は(85点)、スーパーマラドーナ(87点)、和牛(92点)、ジャルジャル(89点)、銀シャリ(91点)、ハライチ(89点)、タイムマシーン3号(90点)、トレンディエンジェル(93点)。最高得点93点、最低得点85点、平均得点89.0点⬛岩尾望メイプル超合金(89点)、馬鹿よ貴方は(90点)、スーパーマラドーナ(93点)、和牛(92点)、ジャルジャル(96点)、銀シャリ(92点)、ハライチ(85点)、タイムマシーン3号(90点)、トレンディエンジェル(89点)。最高得点96点、最低得点85点、平均得点90.7点⬛吉田敬メイプル超合金(85点)、馬鹿よ貴方は(83点)、スーパーマラドーナ(90点)、和牛(86点)、ジャルジャル(90点)、銀シャリ(89点)、ハライチ(83点)、タイムマシーン3号(89点)、トレンディエンジェル(93点)。最高得点93点、最低得点83点、平均得点87.6点⬛徳井義実メイプル超合金(91点)、馬鹿よ貴方は(89点)、スーパーマラドーナ(89点)、和牛(90点)、ジャルジャル(96点)、銀シャリ(95点)、ハライチ(89点)、タイムマシーン3号(88点)、トレンディエンジェル(88点)。最高得点96点、最低得点88点、平均得点90.6点⬛富澤たけしメイプル超合金(92点)、馬鹿よ貴方は(93点)、スーパーマラドーナ(91点)、和牛(90点)、ジャルジャル(94点)、銀シャリ(92点)、ハライチ(89点)、タイムマシーン3号(93点)、トレンディエンジェル(93点)。最高得点94点、最低得点89点、平均得点91.9点⬛石田明メイプル超合金(89点)、馬鹿よ貴方は(83点)、スーパーマラドーナ(88点)、和牛(88点)、ジャルジャル(94点)、銀シャリ(87点)、ハライチ(86点)、タイムマシーン3号(94点)、トレンディエンジェル(92点)。最高得点94点、最低得点83点、平均得点89.0点⬛佐藤哲夫メイプル超合金(89点)、馬鹿よ貴方は(90点)、スーパーマラドーナ(93点)、和牛(90点)、ジャルジャル(93点)、銀シャリ(89点)、ハライチ(88点)、タイムマシーン3号(91点)、トレンディエンジェル(92点)。最高得点93点、最低得点88点、平均得点90.6点⬛哲夫メイプル超合金(89点)、馬鹿よ貴方は(90点)、スーパーマラドーナ(90点)、和牛(88点)、ジャルジャル(93点)、銀シャリ(92点)、ハライチ(87点)、タイムマシーン3号(88点)、トレンディエンジェル(91点)。最高得点93点、最低得点87点、平均得点89.8点 採点を分析すると、一番辛口だった審査員は、最低得点83点、平均点86点をつけた吉田。逆に一番甘口だった審査員は最高得点96点、平均点92点をつけた岩尾となった。
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芸能 2015年12月07日 17時10分
森進一が紅白からの卒業を決めた背景
歌手の森進一が今月4日、所属レコード会社のホームページで、今年限りでNHK紅白歌合戦を“卒業”することを発表し音楽界に衝撃が走った。 「紅白を落選したももいろクローバーZが勝手に“卒業”を発表した際は、『お前らが言うな』などネット上で批判が殺到。しかし、史上最多の48回連続出場を果たした森の“卒業”は言葉の重みが違いすぎた」(レコード会社関係者) 森によると、今年で歌手生活50周年を迎えたことも“卒業”を後押ししたそうで、「区切りの良い年を最後のステージとして、紅白歌合戦から身を引かせていただきたいと決意した」とつづった。 しかし、あまりにも突然の“卒業”の裏には、昨年の紅白での森の発言が大きく関わっているようだ。 「一部スポーツ紙が、昨年の紅白リハーサルの前に歌手生活50周年を節目に、紅白卒業を示唆したこと。リハでそのことを問われると、『(昨年の)北島(三郎)さんも、出場50回で卒業しましたし。僕もあと3回はしがみつくつもりだけど、みんなも50回でした方がいいんじゃないかな』と50回定年制をいきなり提案。そのことに紅白の制作サイドが森に対して不信感を持った。その件があり、今年の出場歌手選考の段階で、『森が外れたようだ』という情報が流れ始めた。そのため、森がNHKにすり寄り、『今年で卒業するから、出場させてくれ』と提案。話し合いがまとまったようだ」(芸能記者) 目玉のなかったNHKとしては、これで森を大トリに据えて盛り上げやすくなったが、「今後、紅白での“卒業”が恒例化しそう。となると、次は出場することでたたかれまくっている和田アキ子あたりか」(同)。 和田は今年が39回目の出場で、来年も出場すれば節目の40回目。“卒業”するにはちょうどいいタイミングのようだ。
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スポーツ 2015年12月07日 17時00分
マエケンのメジャー挑戦で始まる広島の投手再建
広島東洋カープは投手陣の立て直しを迫られている。 マエケンこと、前田健太(27)の米球界挑戦が正式に発表された(12月4日)。彼がメジャー志望を明かしたのは2013年オフだった。今さらだが、既定路線だったわけだ。 「エースらしい振る舞いと活躍をすれば、検討すると(前田に)言っていた。彼は見事に応えている」 広島東洋カープの松田元オーナーは12月4日、球団を介してそんなコメントを発表した。興味深いのはこの後に出た言葉だ。今シーズン、前田が獲得した投手タイトルの最多勝と沢村賞を指して、こう語っていた。 「反対する理由がない。ファンの方も後押ししてくれるのでは。私自身、心を打たれている部分がある」 13年オフの契約更改の席で、前田が将来的なメジャー志望を伝えた際も「周囲が納得するような形での米挑戦を」と伝えられていた。そのとき、前田と球団との間で交わされた“約束の詳細”については明かされていない。約束とは、球団が前田のポスティングシステムによる米挑戦を認める条件のことだ。今回、松田オーナーが当時交わされた約束を明かしてくれたわけだが、その言葉の通りだとしたら、球団が前田に突き付けた条件のなかに『チームの優勝』は含まれていなかったことになる。 前田のメジャー移籍容認が発表される前の11月30日、もうひとつの重大事項が発表されている。広島の精神的支柱でもある黒田博樹(40)が、「今年に入る前に、野球人生最高のモチベーションで(広島に)帰ってきた。最後のつもりで、今まで以上の覚悟でやってきた。なかなか、それを超えるモチベーションを探すのが難しい」と、心中を吐露した。 この引退か、現役続行かで揺れる気持ちは球団も聞かされていた。 広島は新旧エースを同時期に喪失する可能性が出てきたのだ。 前田15勝、黒田11勝。新旧エースの退団で失う『26勝』をどう補うのか…。広島はさらにデュアンテ・ヒース(30)と来シーズンの契約を結ばないこともすでに発表している。ヒースはクローザーで開幕を迎えたが、安定感に欠き、中継ぎや点差の開いた場面でしか登板されなかった。3勝4セーブ10ホールドは物足らない数字だが、43試合に投げている。昨季は途中加入ながら7試合に先発し、防御率は2点台を保った。このヒースの退団も重ねて考えると、広島は投手陣の配置転換を含め、根本的な立て直しが必要となる。 「黒田は残ってくれると思う。黒田は米球界移籍後も毎年オフには必ず前田と会って、将来のメジャー挑戦に関するアドバイスも送ってきました。前田に米国での野球を集中させるため、さらには愛着の深い広島が『弱くなった』と言われるのが絶対にイヤなはずですから…」 そう話してくれた関係者もいたが、希望的なコメントにすぎない。 ドラフト1、2位の岡田明丈(大阪商業大)、横山弘樹(NTT東日本)は2ケタ勝利を残す力はある。だが、カリスマ性という点では及ばない。それは、大瀬良大地、ジョンソン、福井優也、野村祐輔たちにも言えることで、ペナントレースとは、単に数字を積み重ねるだけでは勝てないところが多い。 広島が前田の背中を押したということは、黒田残留の確証を得ているからだろうか。 エースの立ち振る舞いには、持って生まれた才能も必要だ。今は大瀬良の成長に期待するしかないが、こうも考えられる。今季後半、クローザーに定着した中崎翔太が絶対的な信頼を勝ち取ることだ。「中崎に繋げば、中崎が出てくれば絶対に勝てる」という貫禄が出てくれば、少なくとも2016年のV戦線には踏み止まることは可能だが…。(スポーツライター・飯山満)
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スポーツ 2015年12月07日 16時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈実力伯仲の“輪湖対決”〉
中学1年にして体重100キロ超。洞爺湖に程近い北海道の壮瞥町ですくすくと育った少年は、その体躯でいながらスポーツ万能。野球や水泳に才を見せ、柔道では体格で上回る高校生を投げ飛ばしていたという。 “北に怪童あり”との評判は瞬く間に広まり、この少年の元へ多くの相撲部屋からスカウトが参集した。 そうして三保ヶ関部屋に入門した北の湖は、1967年(昭和42年)1月、13歳にして初土俵を踏むと、中学卒業間際の'69年3月に15歳9カ月で幕下に昇進。以後、当時の最年少記録を次々と更新するスピード出世を果たすことになる。 だが、同じ頃、相撲界はもう1人の“天才”出現に沸いていた。日大相撲部時代に、学生横綱をはじめとするタイトルを総ナメにした輪島である。'70年1月に幕下付出で初土俵を踏んだ輪島は、一直線に番付を駆け上がると、'73年5月場所には幕内全勝優勝。角界入りからわずか3年半で、横綱にまで昇進してみせた。 金色のまわしを締め込み、得意の左下手投げは“黄金の左”と呼ばれて一世を風靡。リンカーン・コンチネンタルで蔵前国技館に乗りつけるなど、派手なふるまいは一部でひんしゅくを買いながらも、大相撲新時代の到来を予感させた。 5歳年上ながら後輩の輪島が快進撃を続ける中、北の湖も18歳7カ月で新入幕。輪島が横綱に昇進した'73年には、小結に昇進して初の三役入りを果たした。 「北の湖の昇進の早さも相当で、まだ19歳という若さから次世代のホープとして注目されてはいたものの、当時の輪島は別格でした。でも、北の湖自身は、のちに『この頃が一番相撲を取っていて楽しかった』と話しているように、輪島をライバル視することなど毛頭なかったのでしょう」(スポーツ紙大相撲担当記者) 70年代初頭に大鵬や北の富士、玉の海ら人気と実力を備えた横綱が次々と引退し、土俵は主役不在となっていた。関係者や好角家は“輪島時代”の到来を予感していた。 しかし、北の湖も急成長を見せ始める。三役昇進までは攻めっ気の強い突き押し相撲であったが、関脇に昇進した場所中、足首を骨折したのを契機に四つ相撲へと切り替え、これが功を奏した。成績は上昇し、翌'74年には初場所と5月場所で優勝を飾り、続く7月の名古屋場所で、ついに綱とりに挑むまでになる。 13勝1敗で千秋楽を迎え、優勝に王手をかけた北の湖は、2敗で追いかける輪島との直接対決を迎える。ここで輪島は得意の左下手投げで勝利すると、相星での優勝決定戦にも勝利。先輩横綱としての意地の逆転優勝を果たしてみせた。 だが、優勝を逃した北の湖も、成績優秀により晴れて横綱に昇進。ここから両雄による“輪湖時代”が始まった。2人が横綱に在位した約6年半、千秋楽の結びで20番を戦って、共に10勝とまったくの互角。そのうち、どちらかに優勝が懸かった対戦は7番を数える。 また、両者の対戦は1分を超える大相撲になることが多く、三度の水入りとなる熱戦もあった。 「北の湖は右上手、輪島は左下手を得意とするため、両者の取組では当然がっぷりの左四つになるのですが、ヘタな動きは墓穴を掘ることになり、自ずと慎重な取り口になるわけです」(同) とはいえ、ただ組み合って固まっているわけではなく、北の湖が低い重心からの寄りや腹に乗せての吊りを見せれば、輪島は半身の体勢から左下手投げを打って堪え、右の腕で絞って寄り返すという攻防が繰り広げられる。 「黄金の左と呼ばれた輪島ですが、実は右の腕力こそが強烈で、右で絞って相手を崩すから左の下手投げが決まる。北の湖もこれを分かっていて、輪島の右をいかに殺すかに心を砕く。豪快な取り口の中の細かな駆け引きも、両者の対戦の見どころでした」(同) 70年代中盤以降は輪島が腰痛などで休場することが増え、一方の北の湖は“無事これ名馬”を地で行っていたため、今となっては北の湖優勢の印象を持つファンも多いだろう。 しかし、輪島23勝、北の湖21勝の対戦成績が示す通り、実力伯仲の名勝負であったのだ。
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トレンド 2015年12月07日 16時00分
なんと「正露丸」が漫画に! 心温まる笑いありの学園ストーリー!
ラッパのマークでおなじみの正露丸(大幸薬品株式会社)が、なんと漫画に! マンガ雑誌アプリ・マンガボックスとコラボし、正露丸の公式ホームページで公開された。 公開された漫画は、「正露丸くん」「糖衣ちゃん」といった商品名のキャラクターが出演した学園ストーリー。 一見、物静かで雰囲気が怖い「正露丸くん」。クラスメートからもちょっぴり距離を置かれる存在だが、双子の妹の「糖衣ちゃん」がその誤解を解き、「正露丸くん」の本当の優しさを伝えるという物語で、商品が上手く擬人化されている。「正露丸くん」のクラスメートである大人しめの女の子「後田さん」が、お腹の調子を壊していくことからストーリーが始まり、ちょっぴり笑ってしまうシーンも。 人や物は見かけによらない。理解して初めて分かり合えることがある。笑いもあり暖かくもあるそんなストーリーに仕上がっている。 まもなく忘年会&新年会シーズン。お腹や胃腸の調子を崩してしまう方も多いだろう。「正露丸」は食あたり、水あたり、消化不良といった食べ物・飲み物が原因で起こる軟便・下痢にすぐれた効き目を発揮。「セイロガン糖衣A」は胃腸薬で、正露丸同様に軟便や下痢には効果絶大! これからのシーズン、手放せない薬となりそうだ!
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芸能 2015年12月07日 15時00分
3年危機説にはまったKAT-TUN
依然として釈然としたコメントを出さないKAT-TUN・田口淳之介。来年3月のグループ脱退、ジャニーズ事務所の退所を発表しているが、いちばん気になる理由は口にしない。元来、セクシー&ワイルドが売りのKAT-TUNでは浮いた存在だった田口。すべりギャグの「入口、出口、田口で〜す」は定着しつつあるが、メンバーは快く思っていないのが実情だ。 そんなKAT-TUNからメンバーが抜けるのは3人目。赤西仁、田中聖に続き、来年の歌手デビュー10周年という祝いの時期に、メンバーがちょうど半数(3人)になる。そして、この悲劇の脱退劇には、ある法則が隠されていた。なんと、3年周期で1人ずつ抜けているのだ。 赤西は、亀梨和也と人気を二分しながらも、日本の音楽・生活に違和感を抱き、ソロシンガーとして視野を広げた。結果的に、それが決定打となって10年7月、脱退を表明。12年に女優・黒木メイサとの電撃デキ婚を発表して、現在はパパに。ワーナーミュージック・ジャパンに所属して、「JIN AKANISHI」名義でアーティストをしている。 この3年後の13年、ワイルド担当の田中が解雇。「度重なるルール違反行為があった」ため、事務所を辞めて、グループも脱退。赤西と同じく、当時から音楽活動の続行を明かしており、現在は5人組バンド・INKTのボーカルだ。そのいっぽうで、品川庄司・品川ヒロシが監督を務めた映画『サンブンノイチ』(14年)にも出演した。 そして、来年16年には田口が抜ける。一般的に、交際相手や伴侶とは3日、3か月、3年といったように3年周期で別れが訪れるという説があるが、KAT-TUNはその“3年危機説”がモロにバッティング。ということは、2019年にも何かが起こる!?
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アイドル 2015年12月07日 14時00分
喜屋武ちあき 結婚したいのは『おそ松さん』の十四松です!
熱狂的なアニメヲタクとしても注目のグラビアアイドルの喜屋武ちあきが、2016年度カレンダー(トライエックス)の発売を記念したイベントが、6日、都内で行われた。 去年のカレンダーは、DVDの撮影した時のカットから選んで制作されたのだが、今回はすべて撮り下ろしであり、色々とこだわって撮影されたそうだ。その中でもオススメのカットを聞いてみると「表紙がオススメです。胸が大きく写っているカットなんですけど、飾った時に、目の前に胸があったら幸せになれると思うので、これを選んでみました」と説明した。 買って頂いたファンに飾って欲しい場所を聞いてみると「運気が一番上がる場所の玄関ですね。しかも玄関の外に飾ってもらいたいです。外に飾ると盗難の恐れもありますけど、そういう時に備えてイッパイ買っておいて欲しいです」とアピールした。 年末ということで、2015年を振り返ってもらった。「苦労の1年でした。作詞とか新しいチャレンジをたくさんしたのですけど、タレントができるの?とか思われてしまったり大変でした。去年までは風男塾のメンバーでしたけど、卒業して自分の時間が多くできるようになって、アニメを見たりゲームをしたりとかたくさんできるようになって、自分で時間のバランスを取れるようになりました」と振り返った。 現在31歳になり結婚してもおかしくない年齢である。そんな喜屋武に結婚について聞いてみると「ありとあらゆるところで出会いを探しています。街中でもすごい見ているんですよ。いい人はまだ見付けられないですけど、いい人がいたらすぐに結婚すると思います。理想の男性はフィギュアスケートの羽生結弦君で二次元なら『おそ松さん』(TVアニメ)の十四松が大好きです」と結婚願望を聞かせてくれた。果たして喜屋武は結婚できるのだろうか?
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社会 2015年12月07日 14時00分
達人政治家の処世術の極意 第二十八回「安倍晋太郎」
政治記者の要諦は、現実に驚くのではなく物事の行方の見定めだ。それが後年役立った。 安倍晋太郎はわが総理大臣、安倍晋三の父君である。岸信介元首相の長女・洋子と結婚、次男として晋三をもうけている。表題の言葉は毎日新聞政治部時代に体得した「要諦」が、後年、政治家になったときに役立ったことへの述懐である。 こうした安倍の言葉を一般社会に当てはめれば、例えば企業などでは業績の盛衰、意外な人事等々、アレ? と驚くような現実に直面することが多々ある。しかし、こうしたことに驚いているだけでは何の意味も持たない。これが今後どのような問題を惹起していくのか、その行方を分析する眼を持てと言っている。 そうした眼を養っていれば、後年、自分が会社の幹部になり、同様の場面に直面しても、その蓄積が冷静な判断を呼ぶのだ、ということである。 安倍は政治部記者時代に同じ山口県出身の岸信介を知り、それが縁で娘の洋子と見合い結婚した。一族がそうだったように郷土の英雄、高杉晋作を尊敬していたことから一字を取り、次男を晋三と名付けたのだった。記者生活は約8年間。その後、岸の秘書を経て政界入りを果たした。毎日新聞政治部で安倍の4年後輩だった故三宅久之(元政治評論家)は、安倍の横顔を次のように話してくれたことがある。 「記者時代は“岸ルート”で特ダネも物にしたが、特オチもあった。目から鼻に抜けるようなタイプではなく、歯に衣を着せずにズケズケ物を言うことも多く、言うなら竹を割ったような性格だった。一方で、茫洋、お坊ちゃん育ちでお人良しだったが、シンは強かった。記者の退職金は当時8万円(※注:今なら100万円ほど)だったが、後輩、同僚十数人を引き連れて銀座のキャバレーに行き、一晩で使い果たしたというエピソードがある。政治家になって政策には必ずしも強くはなかったが、先見性にはなかなかのものがあった」 先見性とは表題の言葉にある「物事の行方の見定め」ということでもあるが、その典型的な例が、佐藤(栄作)政権のあとを争う昭和47年の「角福」戦争にあった。当時、安倍は岸派を継いだ福田(赳夫)派の参謀兼行動隊長格で、時に福田は田中角栄と天下を争っていた。このときの総裁選での両陣営の多数派工作の裏面を、筆者も取材している。 総裁選の半年くらい前から田中は「情と利」のあらゆる手を駆使、田中派幹部たちも田中支持を集めるために他派議員の懐柔に奔走していた。一方の福田はとなると、一部に佐藤の福田への政権「禅譲」説が流れていたこともあり、人の良い福田は積極的な多数派工作を怠っていた。 ところが、安倍は天下分け目の総裁選のはるか前に、佐藤や田中の性格分析に加え他派の動向を察知、多数派工作の必要性を福田に進言していた。しかし結局、福田は動こうとはしなかった。結果、田中は大平(正芳)派、中曽根(康弘)派、三木(武夫)派の支持を固めて福田を一蹴、天下を取ってしまったのだった。まさに、安倍の「現実に驚くのではなく物事の行方の見定め」に重きを置かなかった結果と言えた。福田が安倍の先見性を汲んでいたら、結果は変わっていた可能性もあったのである。 いささか失意の安倍ではあったが、田中角栄首相がロッキード事件を機に失脚、三木武夫に政権が回って以後、それぞれの政権に先見性と党内調整のうまさから三木内閣で農相、その後に福田赳夫が政権の座に就くや官房長官、またその後の鈴木(善幸)政権では党政調会長の重責を任されることになる。 こうした一方で「福田派のプリンス」の声もあった安倍は、初当選同期の当時の田中派幹部だった金丸信(後に副総裁)から同じ田中派の有望株だった竹下登(後に首相)共々「君たち2人で協力しながら天下を競い合え」との激励を受け、竹下と安倍は「タケちゃん」「アベちゃん」と呼び合う仲になった。この両者に向け、当時、気鋭の小坂徳三郎を加えて、世代交代を嫌うベテラン議員からは「憎い安竹小」とのカゲ口も出るなど着実に政界の階段を昇っていった。 しかしその後、中曽根(康弘)政権が誕生、5年余の長期政権が終わるとき、中曽根は後継に最大派閥を擁する竹下を「裁定」、その竹下は自分の後継に安倍を描いたが安倍は無念の病いを得、ついに天下を取るには至らなかったのである。 一方で、「アベちゃん、甘ちゃん」の声もあったように、いささか“詰め”には甘かった安倍だったが、「物事の行方の見定め」を重視した処世訓は一考に値する。=敬称略=■安倍晋太郎=通産大臣、外務大臣ほか党3役などを歴任。岳父に岸信介元首相、義理の叔父は佐藤栄作元首相。竹下登元首相、宮澤喜一元首相と並び、ニューリーダーの1人に数えられた。安倍晋三首相の父。小林吉弥(こばやしきちや) 永田町取材歴46年のベテラン政治評論家。この間、佐藤栄作内閣以降の大物議員に多数接触する一方、抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書多数。
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アイドル 2015年12月07日 13時50分
藤田ニコル 彼氏と別れて淋しいのでガチでクリスマスを過ごせる人を募集!
モデルでタレントの藤田ニコルが『にこるんです。』(角川春樹事務所)の発売を記念したイベントが、6日、都内で行われた。 初のスタイルブックの発売ではあるが、かなりヘビーな内容になっている。「17年間のすべてを細々にまとめた感じになっています。今までの恋愛も全部を語っていたり、お母さんと対談もしています」と説明した。 その中でもオススメのページを聞いてみると「お母さんとの対談ですね。お母さんはバツ2なんですけど、お母さんがどういう人生を送ってきたか聞いているので、そこは絶対に読んで欲しいです」と薦めた。 赤裸々に告白をしているスタイルブックだが、お笑い芸人のピスタチオも絶賛しているという。「2人とは仲が良くて、テレビのロケで混浴した仲なので、こう言ってもらえて嬉しいです」と話した。 今年はテレビや雑誌に引っ張りだこだった藤田だが、どんな1年だったか振り返ったもらった。「去年はモデルを中心に活動していたので、こうやってテレビに出る自分が想像できなかったので、ガラッと変わった明るい1年でした。すべてが楽しかったので、仕事をしている自分が好きでした」と振り返った。 春には高校を卒業してしまうので、それまでにやっていきたいことを聞いてみると「リア充なクリスマスを過ごしたいです。今年のクリスマスも一応マネージャーに夕方くらいから空けて欲しいと伝えているんですよ。でもまだ相手がいないんですよ。年上のお兄さんみたいな人を募集しています。待っていますから」と力説した。半年前に彼氏と別れているので、クリスマスの相手も本気で欲しいそうだ。「私が彼氏に対して重いんですよ。それを改善したいと思います。一途なタイプでハマってしまうところがありますけど、尽くすタイプなので、割とイイ女だと思います」とアピールした。 果たして藤田に新しい恋人は現れるのだろうか?
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アイドル 2015年12月07日 12時40分
柳ゆり菜 姉の色気には勝てないです!
グラビアのみならず、女優としても活躍中の柳ゆり菜が、2016年度のカレンダー(ハゴロモ)の発売を記念したイベントが、5日、都内で行われた。 昨年もカレンダーを発売して、2年連続での発売になったが、出来立てホヤホヤのカレンダーを手に取った感想を聞いてみると「去年と違って大人になって成長した私を思う存分表現して、今年の私を詰め込んだカレンダーになっています」と話した。 カレンダーといえば飾る場所も重要である。買ってくれたファンに、どこに飾ってもらいたいか聞いてみると「お風呂とかいいですね。一番ホッとする場所なので、半身浴をしながらじっくり私を眺めてもらいたいです」と語った。 年末ということで、1年を振り返ってもらうと「外に出ることが苦手なので、苦手なことをした方がいいと思って、色々な習い事をしました。日舞やボイストレーニング ダンスなど色々なことをやりました。これからもアクションとかもやっていきたいです。意欲が湧いた1年になったと思います。今までの人生で一番早い1年でした」と振り返った。続いて来年の目標を聞いてみた。「今の私に無い違った部分が成長できたらと思っています。自分の新しい魅力を出していきたいです」と語った。 今イベントの数時間前には、姉の柳いろはも近くでカレンダー発売イベントを行っていた。ライバルでもある姉とカレンダーの比較をしてみて勝っているところを聞いてみると「姉には何事も負けたくないですけど、姉の背中を越すのがひとつの目標なので、どんなことも負けたく無いです。色気では勝てないと思いますけど、トータル的には負けていないと思います」とコメントした。 来年はライバルでもある姉と共演することもあるかもしれないので、そんな夢の共演を期待したいと思う。