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スポーツ 2009年08月03日 15時00分
二足のわらじ履く女子プロレスラー・華名インタビュー
プロレスラーで二足のわらじを履く場合、飲食店を経営する者が多い。その中で、女子プロレスラーの華名(フリー=27)は、珍しくデザイン会社社長の顔を持つ。元々デザインが好きで、短大のデザイン科を卒業し、広告代理店に勤務した。そこを1年半で退社して、選んだ道が180度別世界のプロレスだった。しかし、トップレスラーへの道は険しく遠く、挫折を余儀なくされた。 「プロレスを辞めてから、雑誌や新聞を見るのが嫌でしたね。特に、同期の夏樹☆たいようや渋谷シュウ、風香、ひとつ下だけど栗原あゆみの活躍している姿は見たくなかった」 プロレス界から去った華名は、デザインの仕事に戻った。フリーで様々なデザインを請負い、DTPおよび印刷業務、動画編集および作成、Web制作まで手広く仕事した。1年半のブランクを経てプロレス界に戻ったが、デザインは捨てられず、今年7月1日には、株式会社オフィス華名を立ち上げ社長に就任した。 「女子プロレスラーでも一般の会社を立ち上げて、2つともいい仕事が出来るんだということを証明したいですね」と、一睡もしていないやや充血ぎみの目で熱く語った。 試合が週1〜2回、練習は週3〜4日、あとはすべてデザイン会社の仕事で埋め尽くされる。 「一睡もしてなくても、プロレスは辞めたくない」。難波のド根性娘、華名は、今日も精いっぱい走っている。 元々、華名は吉本興業のファンで、2丁目劇場の出待ちが趣味という、お笑い芸人が大好きな“追っかけ”パワーにあふれる娘だった。芸人にはプロレスファンが多くいるため、そこから興味を持ち始めてプロレスラーになったようなものだ。 だが、皮肉にも華名がデビューした年は、2004年6月。97年に老舗で最大手の全日本女子プロレスが崩壊し、NEO、アルシオンに分裂した。その後、アルシオンが解散して、AtoZが後を受け継ぐ形で誕生。そこの生え抜きだったのが華名だ。 デビュー当時は女子プロ界暗黒時代でもあった。かつては東京ドーム、両国国技館、有明コロシアムなどへ進出した時代もあったが、全女の経営破たんと同時に、人気は急降下。 どこの会場でも客が埋まらない。華やかな時代に黄金カードを出し尽したため、どんなカードもくすんでメーンを張れるものがない。何をやっても当たらないのが、その時期だった。 それでも、華名は、07年9月にリングに戻ってきた。女子プロレスの灯火を消さない、消したくない、そんな気持ちを胸にひと皮むけた新生・華名として…。 −−今、女子プロ界が低迷してますが。 「プロレス業界自体が受け身になっちゃってますよね。もっと外を見なきゃいけないですよ。そして、もっともっと攻撃していかないと。今、女子プロの団体が増えて、様々なところで試合してますが、ファンのパイを取り合ったところで、ファンが増えないと思うんですよ。だからこそ、外を見ないとダメなんです。たとえば、プロレスとは関係なしに、メディアに出たり、発見したりしていかなきゃいけない」 −−その他に気づくことは 「私は、好きな芸人がプロレスラーファンだったので、レスラーになったんですよ。それも良し。芸人さんが武藤(敬司)さんの物まねするのも宣伝になって良し。いろいろな分野が世界にはありますよね。それを利用してプロレスを進化させたいんですよ。ネットで何かやろうとは思ってるんですけどね。ただ、気づいたのは、プロレスで止まっているもの、それは興行形態なんです」 −−入場料なども、ほとんど昔から変わらない。 「そうなんですよ。もうチマチマ稼ぐんじゃなく、大きく行きましょうよ。夢? そうですね、今、高橋奈苗さんたちとパッション・レッドというユニットを組んでるんですけど、勢いがあって楽しいんで、パッションで横浜文化体育館を満員にしたいです」 −−いつも前向きですが、失敗談はない? 「ありますよ。たとえば、コレ恥ずかしい話なんですけど、水着の股の部分が破れてて、外が白、中が赤の二重に作られてたんですけど、白が破れて赤の布が見えちゃってたんですよ。股に赤ですよ。ファンに気づかれてたんですけど、買い換えるお金もなかったんでしばらく履いてました(笑)」 −−でも、華名さんなら大丈夫。強気だもの。 「はい。攻め、攻め。狙えるなら相討ちくらいの攻撃でいきたい。これが人生であり、プロレスなんですよ」<プロフィール> 本名=浦井佳奈子。1984年9月26日生まれ。大阪府大阪市出身。160センチ、61キロ。04年6月16日、東京・後楽園ホール、玲央奈戦でデビュー。AtoZの生え抜きだったが、06年3月に慢性腎炎による体調不良で引退。07年9月に再デビュー。現在はNEO、JWP、WAVEなどに参戦している
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スポーツ 2009年08月03日 15時00分
戦極 藤田が判定に激怒 戦極を批判
「戦極〜第九陣〜」が2日、さいたまスーパーアリーナで行われた。1年2カ月ぶりのリングで判定負けを喫した藤田和之が、同マットおよびジャッジを糾弾。最悪の場合このさき戦線離脱も否定できない事態となり、北京五輪柔道金メダリスト石井慧のプロデビューで注目が集まるヘビー級戦線に不穏な影を落とすことになった。 6月に戦極とのプロ契約こそ交わしたものの、いまだデビュー戦が決まらない石井のおかげで、現在同ヘビー級戦線は注目を集めている。 その石井が登場したのは休憩明け。五輪柔道メダリスト吉田秀彦、泉浩、瀧本誠からなる戦極「柔道トップチーム(JTT)」の一員としてリングに上がり「初戦の相手でこの中に闘いたい人がいる。それは泉先輩…。ではありません!」とあいさつした。 この中にいるとすればライトヘビー級の泉やウエルター級の瀧本ではなく、同じヘビー級の吉田なのはいわずもがなのこと。同団体の國保尊弘代表によれば「相手は日本人と外国人の2、3人の中から選ぶことになるでしょう。時期は早ければ11月(7日の東京・両国国技館)、もしくは来年のニューイヤー」とのこと。現時点でデビュー戦の相手候補としてJTTの吉田、かつて石井自身が対戦を熱望した藤田、さらには戦極契約前から対戦したいとしていたジョシュ・バーネットら3選手が有力だ。 しかし、その一方でこの日はそんな石井のデビューにも影響を与えかねない事態が発生した。「戦極〜第三陣〜」のトラビス・ビューにTKO負けして以来1年2カ月ぶりに登場した藤田だ。“エメリヤー・エンコヒョードルを倒した男”ブラゴイ・アレクサンドル・イワノフと激突。序盤戦に両拳を骨折した相手を圧倒し続けるも、1Rに左右のワンツーパンチでダウンを許したのが響いてしまい、最後は判定にもつれて1-2で復帰戦を落とした。 この判定結果をめぐり藤田が怒りを爆発させたのだ。試合後「納得できない。明確にしてもらいたいね」とブチ切れ「1Rでダウンしたから、後は印象が悪いと思って攻めた。でもいくら攻めてても、人の感情が入ってくるからしょうがない」と糾弾。 さらには呆れ顔で「終わったんで結果は結果。どうしようもねぇっちゃぁどうしようもない。人が決めることだから。コレが戦極なんじゃない」と切り捨てたのだ。 もう戦極には出ないとばかりに捨てゼリフを吐いた藤田に、陣営関係者も「判定には納得してない。グラウンドコントロールしてたのは藤田。この判定は不可解」とおかんむりだ。藤田が判定に噛み付くのは珍しい。それだけに、最悪の場合このまま戦極を離脱することも考えられる。 藤田離脱となれば、吉田と藤田の日本人の大物二枚看板でやってきた戦極ヘビー級戦線にとって、大きな痛手。貴重なヘビーの駒を失うハメになるばかりか、石井のデビュー戦だって必然的に今秋以降の吉田戦が濃厚となってくる。 あくまで國保代表は藤田について「負けはしましたが、存分にファンを楽しませてくれた。もう一度上がって藤田魂を見せてほしい」としているが、今後「戦極の乱」ならぬ「藤田の乱」がいつ起こってもおかしくない。
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スポーツ 2009年08月03日 15時00分
健介オフィス 健介 気持ちのいい敗戦
2日の健介オフィス後楽園ホール大会で、佐々木健介がタッグパートナーでもあるプロレスリング・ノアの森嶋猛と一騎打ち。森嶋に初黒星を喫したものの、より絆を深めGHCタッグ獲りをブチあげた。 この日、昨年のノア日本武道館大会以来、約11カ月ぶりとなる森嶋との一騎打ちに臨んだ健介。試合開始直後から、逆水平を繰り出せば、森嶋もエルボーで応戦する一進一退の攻防戦が続く。ところが、10分過ぎ、ヒップアタックやミサイルキックなど巨体を活かした技に苦戦させられるも、ラリアート、ストラングルホールドγで追い込んだ。 ところが、北斗ボムの体勢に入ったところを圧殺されると、ジャーマン、ダイビングボディープレスで大ダメージ。最後はバックドロップで、ブン投げられ返すことが出来なかった。 試合後、互いの実力を認め合い、抱擁を交わした。健介は「今日は気持ちのいい負け方だよね。過去にハセケンとかヘルレイザーズとかタッグでトップを歩んできた自負はある。オレたちもその域まで達してると思う」と過去の名タッグチームになぞらえた。さらに「心の友、心友になってノアを暴れまわりたい」とタッグベルト獲りを視野に入れていた。◎中嶋が望月に完勝 また、中嶋勝彦はドラゴンゲートの望月成晃との一騎打ちに完勝。望月との“蹴撃タッグ”でドラゲーのタッグリーグに参戦することになった。 望月の最強ハイキック、一角蹴りなどを喰らいながらも、勝彦はジャーマン、右ハイキックで反撃。デスロールを後頭部に2発叩き込み、最後はジャーマン・スープレックス・ホールドでガッチリと3カウントを奪った。 これまで、望月と何度も抗争を繰り広げてきたが、完璧に勝利したことで終止符。試合後、望月から「ドラゴンゲートはタッグリーグが始まったばかりなんだよ。オレは最初からお前をパートナーにするつもりでいたんんだよ。よろしく頼むよ」とタッグリーグ参戦要請を受け「組んでやってみようと思います」(勝彦)と快諾。「出るからには優勝を目指していきます」と宣言していた。
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スポーツ 2009年08月03日 15時00分
MAキック 棚橋が虎“食った”
梶原一騎23回忌追悼記念興行が2日、東京・後楽園ホールで行われ、初代タイガーマスクが新日本プロレス・IWGPヘビー級王者の棚橋弘至に屈辱のギブアップ負け。初代タイガーは即刻ヘビー級への転向を示唆。リアルジャパンのマットでリベンジすることを誓った。 MAキックの興行の中で特別提供試合として行われたこの一戦。初代タイガーは新日プロの永田裕志&吉橋伸雄と初タッグを結成し、棚橋&IWGPジュニアヘビー級王者の4代目タイガーマスク&岡田かずちかと対戦した。 棚橋と初遭遇した初代タイガーはロー、ミドル、ローリングソバットなどジュニアとは思えぬ重い蹴りで悶絶させた。さらにフロント・ネックチャンスリー2連発からパイルドライバーで一気に勝負に出る。 ところがエビ固めで切り返されると、左足にドロップキック連発、ドラゴンスクリューの集中砲火を浴び一転ピンチに。最後は、テキサス・クローバー・ホールドで足を極められてそのままタップするしかなかった。 試合後、初代タイガーは「オーラがすごいですね。(技の)一発一発がひとつもふたつも上のところでやっているというイメージ」と“100年にひとりの逸材”棚橋の才能を絶賛した。 だが、もちろんこのまま黙っているわけにはいかない。「屈辱ですね。増量してIWGPヘビー級王座に挑戦します」と棚橋にいきなり宣戦布告をぶっ放した。 さらに、初代タイガーよりも怒り心頭だったのはリアルジャパン代表の平井丈雅氏だ。平井氏は怒りを抑えるように肩を震わせながら「リアルジャパンとしましてはこのまま終わるわけにはいきません。先生が信頼するパートナーを連れて絶対にリベンジします」とキッパリ。 リアルジャパンは9月11日に後楽園ホールで次回大会を予定しており、その日は新日本の興行は予定されていない。報復を誓ったレジェンド、初代タイガー。棚橋との天才対決の行方は、いかに。◎三沢光晴さん追悼セレモニーも この日の追悼興行では、故・梶原一騎さんの原作の漫画「タイガーマスク」の2代目として活躍した故・三沢光晴さんの追悼セレモニーも行われ、ノアの前相談役百田光雄氏が来場した。 梶原さんの実弟でもある真樹日佐夫氏に招待された百田氏は、三沢さんがタイガーマスク時代に使用していたというマスクを持ってリングに上がった。百田氏は「本来ならば、2代目タイガーマスク、三沢選手がこの場にいるはずですが、亡くなりました。彼が現役時代に被っていたマスクです」とあいさつ。 真樹氏、梶原氏の未亡人、高森篤子さんもリングに上がり、追悼の10カウントゴングが鳴らされ、故人を偲(しの)んだ。 なお、大麻取締法(所持)違反の疑いで5月に現行犯逮捕されたキックボクサーの我龍真吾も来場。 場内からば声や怒号が飛び交う中、我龍はファンに土下座した。「この度は本当に申し訳ございません。自分の心の弱い部分が出てしまいました。ボクには謝ることしか出来ません」とひたすらファンに謝罪。「これからの試合なり、生活態度をみてくださればわかると思います」とキックボクサーとして再起を誓っていた。
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スポーツ 2009年08月03日 15時00分
全日本プロレス 西村修が長州力に宣戦布告
全日本プロレスの西村修が2日、郡山大会で“革命戦士”長州力に8・30両国国技館大会での遺恨決着戦を要求した。 3・14両国国技館大会のタッグマッチで敗戦を喫した西村は「人類最大の憎き相手と決着をつけたいということで会社に伝えました。シングルマッチで完全決着を望んでいます。両国大会で決着をつけたい」と“出頭”を命じた。 革命戦士はこの要求にどんな反応を示すのか。
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スポーツ 2009年08月03日 15時00分
ノア 小橋が潮崎を絶賛
プロレスリング・ノアの“鉄人”小橋建太(42)が2日、東京汐留の日テレタワーB2ゼロスタ広場で行われた街頭プロレスに登場した。 試合直前まで雨が降っていたにも関わらず、1700人もの観客を動員。第4試合で小橋はKENTAとのタッグで潮崎豪&伊藤旭彦組と対峙。元&現付き人3人と同じリングに上がった。 小橋と潮崎が先発。両者は序盤からリングの内外で逆水平合戦を展開、両軍入り乱れての混戦となった。 小橋がハーフネルソン、ブレーンバスター、マシンガンチョップ、潮崎が豪腕ラリアット、ムーンサルトと得意技を披露。KENTAがgo 2 sleepで伊藤を粉砕、乱戦にピリオドを打った。 試合を終え小橋は「潮崎はチャンピオンになるだけのものは持っている。試合をやるときはキツいけど、うれしい」とまな弟子たちの成長に目を細め、「自分に喝をいれなきゃ」と熱いファイトに刺激を受けた様子だった。◎小橋と長谷川が初対面 ボクシング界とプロレス界の王者が揃い踏みだ。 街頭プロレスがあったこの日、テレビ局企画のイベントで小橋とWBC世界バンダム級王者の長谷川穂積(28)の初対面が実現した。 WBC世界スーパーバンダム級王者の西岡利晃とWBA世界スーパーフェザー級王者のホルヘ・リナレスとともに登壇した長谷川。 ボクシングとプロレス総勢8名の豪華競演の実現にファンは大興奮。リナレスが小さなゴムボールをサッカー選手のようにリフティングすれば、長谷川はミット打ち10連打、小橋はアナウンサーに逆水平と大ハッスルだ。 イベント後、小橋について長谷川は「試合は見たことないんだけど、すごいオーラを感じた」とコメント。 一方の小橋も「世界を極めた選手は違いますよ。世界チャンピオンはマイク・タイソン以来。あいさつ程度だったけど、自分のほうもそういうのを感じた」と呼応した。 トップアスリート同志感じるものがあったようだ。
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スポーツ 2009年08月03日 15時00分
新連載 メジャーリーグ極秘情報(1) ヤンキース・松井
日本人メジャーリーガー・ビッグ3の最新極秘情報をお届けする。まずは阪神VS巨人のラブコール合戦まで起きたヤンキース・松井秀喜の去就だ。 「ヤンキースにこだわらずに、他球団に移籍してでもメジャー球団で現役生活を全うして、日本球界には監督として復帰してほしい」。「メジャーではもう限界が見えている。日本球界に復帰すれば、まだまだやれる。ホームランも40本台はもちろんのこと、50本も狙える。王さんの55本超えに挑め」。松井と親しい関係者の間でも意見が真っ二つに分かれている。 共通しているのは、「4年契約の切れるヤンキースとの再契約はむずかしいだろう」ということだけだ。松井本人は再契約を目指して必死に巻き返しを図ろうとしている。しかし、「DHで出ている間は無理だろう。外野を守れるようにならないと、ヤンキースと再契約の話はできないだろう」と、松井の周辺からも悲観的な声が出ている。 ベストのヤンキース残留の選択肢が消えた瞬間から、松井は重大決意を迫られる。ヤンキース入団時の監督であり、最大の理解者ドジャース・トーリ監督、巨人時代からの恩師である巨人・長嶋茂雄終身名誉監督の2人が、去就決断のキーマンとして浮上する。メジャーの他球団でプレーするのが賢明か、日本球界復帰がベターな選択か。松井は日米の恩師の言葉に耳を傾け、最終決断することになるだろう。 だが、松井と親しい球界関係者は「トーリ監督、長嶋さんに相談するのは間違いないだろうが、一番重要なキーパーソンは夫人だろう」と言い切る。「これまで松井は夫人を公の場に一度も出したことがないほど大切にしている。そんな夫人の一言がすべてを決めるのではないか」と見ているのだ。 確かにマスコミから徹底的に隔離する、松井の夫人に対する異様なガードの堅さからしたら、うなずける話だ。プロ野球界では珍しい話ではない。「イチローがポスティングでマリナーズ入りした際にも、本人よりも夫人のメジャー志向の方が強く、イチローは背中を押された格好だった。松坂にもそういう傾向があった」。日本人メジャーリーガー担当記者はこう明かす。 松井の場合はイチロー、松坂と違い、ヤンキース入りしてから結婚しているが、夫人の占めるウエートの重さは変わらないだろう。となると、日本球界復帰へのネックになる可能性がある。夫人を厳重ガードしてマスコミからシャットアウトできるのは、プライバシーを最優先させる米国だからこそとも言える。日本に帰ってくれば、四六時中、写真週刊誌などが張り付き、松井夫人を追いかけるのは必至。 「いや、問題をクリアできるケースがある」というのは、メジャーリーグに精通している日本の球界関係者だ。「ヤンキースがワールドチャンピオンになってパレードをやれば、夫人同伴が決まりのメジャーだから、松井夫人のお披露目の場になる。一度公式デビューしてしまえば、日本球界に復帰しても、カメラマンに追われることはないだろう」と。 「日本球界に復帰するのなら、天然芝の甲子園を本拠地にする阪神へぜひ」と、フロント首脳がいち早くラブコール。「ありがたい話です」と松井から感謝された阪神は、ヤンキースのワールドチャンピオンを祈願する必要があるかもしれない。
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レジャー 2009年08月03日 15時00分
関屋記念(GIII、新潟芝1600メートル、9日) ヒカルオオゾラ 飛躍の秋へと羽ばたく
例年、秋の飛躍を目指す高水準マイラーが集まる「第44回関屋記念」(GIII、新潟芝1600メートル、9日)。今年の主役は、武豊騎手がマイルCS奪取の相棒に指名したヒカルオオゾラだ。前走のエプソムCは大物シンゲンに及ばなかったが、自身も好タイムの2着。重賞級の地力をはっきり示した。5勝中4勝を挙げているマイル戦。末脚を存分に生かせる直線の長い高速馬場で、その持ち味をフルに発揮する。 もう落とせない。重賞初Vへ向け、ヒカルオオゾラが万全の態勢を敷きつつある。 「前走の後は米子Sを予定していたんだけど、熱発のために自重した。でも、その後はすぐ熱も下がって、放牧先のグリーンウッドでは順調にケイコを消化できた。いい状態でレースを迎えられそう」と池江寿調教師はうなずいた。 その前走・エプソムCは2着。2年連続で、悔しい思いをした。 「あれは正直、相手が強すぎたね。こちらは完ぺきなレースをしていてあの結果だから、向こうが一枚上だったというしかない」と師はサバサバと振り返った。 2番手からの積極策で速い流れを演出。それでも芝1800メートルを1分45秒7の好時計で粘ってみせた。本格化した大物シンゲンには及ばなかったが、中身はズッシリと重く、重賞を勝てる地力をはっきりと示した。 熱発明けというのが冗談に聞こえるほど、確かに中間の動きは素晴らしい。栗東に帰ってすぐ7月24日には坂路で800メートル56秒7、26日にも坂路で57秒4を出した。そして30日にはCWで6Fから79秒1、ラスト1F12秒3と抜群の脚さばきを披露した。不順な天候が続き、馬場状態は決して良くなかったが、まったく問題にしなかった。 「あと1本追い切れば万全の状態にもっていける」と昨年のリーディングトレーナーは自信を深めている。 さらに、「今回は実績のあるマイル戦にかわる。千八でもある程度はやれているけど、やっぱり一番安心して見ていられるのは千六だから」と続けた。全5勝中4勝がマイル戦。もちろん、秋に見据えるのも、同じ距離のGIだという。 「武豊君がね」と、師は小学校からの同級生の評価を口にした。「彼はこの馬で秋のマイルCSを狙うと言ってくれている。そのためにも、ここでひとつ勝って飛躍につなげたい。キャリアはまだ浅いけど大丈夫。これまでジョッキーがいろんなことを教えてくれているから」 武豊騎手が教え、惚れ込む潜在能力。真夏の新潟、659メートルの直線でいよいよそれが全開となる。
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レジャー 2009年08月03日 15時00分
小倉記念(GIII、小倉芝2000メートル、2日) 今年の夏はロートルが熱い? 超伏兵ダンスアジョイがV
サマー2000シリーズの第3弾「第45回小倉記念」(GIII、小倉芝2000メートル、2日)は、角田騎手が騎乗した16番人気のダンスアジョイが優勝。大混戦となった直線の叩き合いを制し、8歳夏にして初めての重賞タイトルをもぎ取った。思わぬダークホースの快走で3連単は97万8500円の高配当。2、1番人気で決した昨年とは一転し、大波乱の結末となった。 直線の内から外まで目いっぱいに広がった馬群の中からグイッとひと伸び。首の上げ下げをハナ差制し、真っ先にゴールに飛び込んだのは8歳馬ダンスアジョイだった。 コスモプラチナとドリームフライトがハナを主張し合うなか、ゆったりとゲートを出たダンスは最後方。「もともとスタートは速い方じゃないから、のんびりと。持ち味(末脚)を生かすように乗ろうと心がけた」(角田騎手)。人気は下から数えて3番目。気楽な立場だったこともあり、道中は折り合いに専念した。 3コーナー過ぎ、前2頭が早々と脱落し始めると、ハンデ戦らしく直線は残る16頭がごった返す大混戦。ダンス=角田は迷いなくインにもぐり込む。前が開かなければジ・エンドのイチかバチかの賭けだったが、勝利の女神は彼らに味方した。ラスト1F、馬群がバラけたところで、ためにためていた脚を一気に爆発させた。 「イン? 狙ってましたよ(笑)。不利もなくスムーズな競馬ができたし、スタッフの方もうまく仕上げてくれた。何より、お世話になっている松永(幹)先生に恩返しができてよかった」と角田は振り返った。 ダンスとコンビを組むのは昨春の阪神戦以来。「写真判定に弱い馬だから…」。そのひと言に凝縮されるように、ダンスは良くも悪くも相手なりに走りすぎるタイプだった。重賞で善戦したかと思えば、条件戦で取りこぼす。しかも、近走は年齢的なものか、その安定感すら失っていた。そんななか、めぐってきた“旧友”との久々の再会。そこで得た勝利は角田にとって格別なものがあったに違いない。 一方、この日の勝利は松永幹調教師にとっても特別なものとなった。騎手時代を併せたJRA全10場での重賞制覇だ。 「小回りはどうかと思っていたけど、デキが良かったんで使ってみようと。勝った瞬間は思わずバンザイしちゃったよ(笑)」とトレーナー。「サマー2000シリーズもチャンスがありそうだし、この後は馬の体調を見ながら新潟記念を目指したいね」と意欲をのぞかせた。 それにしても、七夕賞を勝ったミヤビランベリ(6歳)といい、函館記念Vのサクラオリオン(7歳)といい優勝したのはいずれも高齢馬。今年のサマー2000シリーズはロートル軍団が席巻しそうなムードだ。
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レジャー 2009年08月03日 15時00分
新重賞今昔物語 1999年 1分32秒の壁を破ったリワードニンファ
10年前の新潟競馬場はまだ右回りだった。もちろん、今のような長い直線もない。 ただ、当時も今も変わらないのが時計の速い馬場であるということ。そして、1999年の関屋記念を制したリワードニンファが叩き出したレコード(現レコードはマグナーテンの1分31秒8)は、左回りの現コースにかわった今でも破られていない。 毎年、暑い盛りに行われるGIIIにしては重厚なメンバーがそろう関屋記念だが、この年もなかなか豪華だった。1番人気に支持されたのは5歳になっても安田記念3着など、3歳時の輝きが忘れられないスピードワールド。これに前哨戦の朱鷺Sを勝ったエアガッツが続き、3番人気には14カ月ぶりの出走となった実力馬ブラックホークが推された。リワードニンファはその次。重賞勝ちこそなかったものの、ターコイズSやエプソムC(3着)で見せた強烈な追い込みに期待が集まっていた。 ノストラダムスの大予言が何事もなく過ぎ去った8月8日は、強い日差しが雲にさえぎられることなく、芝生の緑をより濃密に際立たせた。 レースはハナを奪ったコクトジュリアンが6F並みのハイラップを刻んでいく。最初の3Fが32秒8、1000メートルは56秒0。これをニンファは10番手という普段通りの位置で追走した。 直線に向くと、好位から早めに抜け出したブラックホークを一気にとらえ抜き去った。追いすがるスピードワールドは敵ではない。その一瞬のスピードは、オークス馬イソノルーブルも出した父ラシアンルーブル、そして母の父トウショウボーイから受け継いだ宝物だったのだろう。 2馬身1/2差の完勝。さらに驚かされたのは、1分31秒6という走破時計だった。日本の競走馬がマイル戦で初めて1分32秒の壁を破った。94年の京王杯AHでサクラチトセオーが樹立した1分32秒1をほぼ5年ぶりに、0秒5も更新したのだ。それも2年後にはゼンノエルシドに0秒1塗り替えられてしまうが、ニンファの示した非凡な才能はまったく色あせるものではない。 その後は勝ち鞍に恵まれず、2000年の京王杯AHを最後に引退、繁殖生活に入った。まだこれといった活躍馬を出していないが、この7月、6番仔のリワードインティマ(父マーベラスサンデー)がデビュー。5着とまずまずの滑り出しだった。今後の活躍に期待したい。