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芸能 2008年07月02日 15時00分
桂歌蔵インタビュー
毎週木曜連載のコラム「今宵も歌蔵」や伝説のロックシンガーに話を聞く月イチ連載「ロッケン問答」でおなじみの落語家、桂歌蔵が前座時代の体験を基にした小説「前座修行」を刊行した。そこで、この本にまつわる話を聞いてみた。 本書は1991(平成3)年12月に桂歌丸門下に入門してから、1996(平成8)年2月に二ツ目へ昇進するまでの前座時代4年間を「起・承・転・結」の4章に分けて構成した小説だ。出版社からは「師匠から許可を得るの?」と問い合わせがあったという。 「もちろん師匠には事前に“こんな本を出します”と報告して許可はもらってました。でも原稿を見せてたら出版自体が不可能だったでしょう。なので、誰にも相談せず独断で出しました。ただ、うちの師匠も含めて今も現実にいらっしゃる方々ばかりなので、そのままドキュメンタリーみたいに書いちゃうと、いろいろ差し障りがある。そこで、小説という形のフィクションにしたんです」 “起”の章は落語家を志して歌丸師匠に入門を願い出、前座として修行を始めた時代の話。 「こんな世界があるんだ…と私が落語界に飛び込んだのは10数年前。師匠が自宅の近所に借りてくれたアパートに住み込みです。もちろん家賃は師匠持ち。そこから師匠宅に通って、掃除、洗濯、買い物まで家事をすべてやってました。1年間1日も休みナシで」 もちろん楽屋での修行もある。楽屋でネタ帳を付けたり、出囃子(はやし)の太鼓を叩いたりといったルーチンワークはもちろん、楽屋に控える師匠のみなさんの着替えを手伝ったりといった気を使う仕事もある。 「落語界というのは、とにかく年功序列。お茶を出す順番ひとつ間違えただけで楽屋じゃエラいことになりますから。師匠方全員の名前と顔を覚えるのは当前。一番気を使うのが序列が微妙な場合です。例えば楽屋に師匠が2人いて友達同士みたいに話していると、どちらが先輩か分からなかったりする。そこを見抜いてお茶を出さなきゃいけないわけですよ」 まだ1年目は見習いみたいなもの。師匠方も新弟子ということでようすを見ているところがある。本格的に厳しさを増すのは2年目から。ここを描いたのが“承”の章だ。 「2年目に入れば師匠も“もう大丈夫、逃げないだろう”と(笑)。だから毎日が小言の嵐。ジャブとストレート、たまにアッパー、みたいな(笑)。それもアゴが外れるようなね。うちの師匠は落語会でも一、二を争うほど躾(しつけ)が厳しいことで知られてますから、その門下に入った時点でこうなることは目に見えてたんですが(笑)」 前座は芸の修行ではなく人間修行の期間。それに2年目は毎日が夢中だったから、どんなに厳しい小言をもらっても当然だと思っていたそうだ。 「あくまでも私は“噺(はなし)家”になりたかったから。ずっと師匠は『笑点』に出てるけど、自分自身はテレビに出ようとは思わなかった。一生を寄席でまっとうする芸人を目指していたんです」 とはいえ、2年間も小言を毎日もらっていたら相当ストレスがたまる。3年目に入ると精神的にささくれ立ち、それを解消するため酒におぼれるという悪循環に陥っていた。ちょうどこのとき“転”機を迎える。 「そのころ、元世界ミニマム級チャンプだった大橋秀行さんが家の近所にボクシングジムを開いたんです。私と大橋さんは同じ年だし、なんか運命的なものを感じて(笑)通うようになりました。29歳でプロライセンスが取得できるギリギリだったんですが、幸いにもテストに合格して大橋ジムのプロ第一号になったんです」 ライセンスを取得したのだから、もちろん次はデビュー戦。だが、前座修行中の身には落語家をあきらめない限り無理な話である。 「もちろんデビュー戦への思いはありましたが、もし師匠に話せば“そっちで頑張んなさい”と破門されるのがオチ。自分のベースは落語かボクシングかを考えたら、それは落語です。自分が落語家だったからこそ大橋会長も全面的にバックアップしてくれたわけでね。話題になりますから。それでライセンスが取れたようなものです」 泣く泣くデビュー戦はあきらめたが、達成感はあったという。 「朝は師匠宅で家事、昼は楽屋仕事、夜はジムで1時間半トレーニング…相当キツかった。よくやれたなと思いますよ、他人事みたいですが。でも、前座修行とボクシングのトレーニングを両立させたという自信が、その後の落語家人生に役立ってます。ただ、スパーリングしてると顔がボコボコになるでしょう。すると楽屋でウワサになるわけですよ。アイツは夜な夜な街でケンカばかりしてるって。二ツ目の先輩から相当イジめられて、そっちのほうが大変でした」 入門してから3年半、二ツ目昇進の話が持ち上がり、ようやく前座修行“卒業”の目が出てくる。それが“結”の章だ。要は前座の厳しい修行に耐え、師匠方から“コイツは落語家としての基礎が身に付いた”と評価された者だけが二ツ目への道を許されるのだ。 「笑いの才能に自信のあるやつは落語界に来ませんよ。特に今はNSC(吉本興業の養成所)をはじめ大手芸能プロが続々と養成所を設立してますからね。簡単に芸人になれますから厳しい前座修行なんてやる必要はない。逆にお笑いに自信のないやつが落語家になるんでしょう。大師匠方にイチから仕込まれ、厳しい修行を乗り越えて一人前になるわけで。むしろ笑いの才能に自信を持っているやつほど潰されます。これから芸人を目指すみなさん、ご参考までに」
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トレンド 2008年07月02日 15時00分
「私、テレビの味方です」真木よう子 巨乳に突き刺さるエロ視線にマジ切れ寸前
「週刊真木よう子」が終わった。ドラマも映画も大して興味がないが、真木よう子(25)が主演するこの作品だけは今見ておかないと後悔すると思い、欠かさずに録画した。いや、「この作品だけは」というよりも「今の真木よう子を」とした方が正確だろう。 ドラマ「SP」で注目されてからというもの、人気はウナギ上りで、過去に出演した作品が雑誌でこれでもかと発掘されたり、『月刊真木よう子』が中古市場で高値をつけられたりしている彼女。凛々しい顔、定評ある演技力も魅力的だが、男子をくぎ付けにしているのはオッパイだ。 本人が「そういう目で見るな!」といくら叫んだとしても、残念ながらその思いは届くことはない。男はオッパイが好きだからである。『月刊真木よう子』の表紙を思い出していただければ分かるように、ぐわーんとせり上がる急角度のバストは、北米大陸最高峰のマッキンリーを連想させる(行ったことないけど)。 ところで、まだまだ知られていないようだが、そんな素敵なバストを持つ真木よう子ではあるが、中身は完全な男である。先月25日深夜に放送された「週刊真木よう子」の最終回(特別編)でのインタビューでも、「寝るの、好きですねぇ。ホント三度の飯より好きなんですもん(ダルそうに)」と答えるだけならまだしも、「ちなみに寝るときの格好は?」と聞かれると、一気に不機嫌モードに突入。「はぁ?」とインタビュアーを一喝!そう、われわれは真木よう子に一方的な思い入れをしているのだ。 そんな勝手な思い入れが重荷になったのだろうか、つい最近関係者からこんな話を小耳にはさんだ。 「なんでも彼女は精神的に参っているみたいなんですよ。急に忙しくなったことだけが原因じゃないみたいで…」(テレビ局関係者) 劇的に環境が変わっただけでなく、男たちからのエロ〜い目線に耐えられない。それも精神的に参っている理由のひとつに決まっている。因果な商売だ。 でも、そこも含めて彼女の魅力なわけで…。私から言えることは、彼女はただエロいだけの存在じゃないということだ。エロだけで消費されて、ポイ捨てされるほど柔な目をしていない(ちょっと怖い瞬間もある!)。エロ目線だけで見るのは真木よう子を見るのに損してますよ。
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その他 2008年07月02日 15時00分
「アキバ探検隊」ホコ天再開の目途立たず “民族大移動”発生!?
いまだにショックの癒えない秋葉原無差別殺傷事件からもうすぐ1カ月が経つ。事件の舞台となった日曜日の歩行者天国は、3週にわたって中止が続き、再開の目途は立っていない。このままホコ天中止が続いた場合、アキバをホームグラウンドとするヲタクやコスプレイヤーの“民族大移動”はあるのか? 「ほかの場所を探そうにも、アキバ以外に居場所がない。ホコ天が再開されるのをいつまででも待つつもりです。ヨソに行って“迫害”されるよりマシでしょう?」と力なく答えるのは、コスプレ歴2年の20代男性。事件前はコスプレ仲間と毎週日曜、ホコ天が始まる午後イチから出撃していたが、いまは携帯メールで連絡を取りながら夕方近くにおちあっているという。 仲間の男性は「ゲーセンで待ち合わせることが多くなり、無駄な出費が増えましたね。街中は警察官が多いし、道端に座り込むわけにもいかない。不健康な休日の過ごし方をしていますよ」と自嘲ぎみに話した。 都内でホコ天を実施しているのは、新宿と銀座の2カ所。20代の女性コスプレイヤーは「どっちも無理。そんなところでコスプレしても白い目で見られるだけ」と移動する気はない。 ならば、“西のヲタクの聖地”といわれアニメや特撮モノを扱うショップが集積する中野ブロードウエイや、腐女子が集まる乙女ロードを抱える池袋はどうか? 女性コスプレイヤーは「たまに行くけどアキバの代わりにはならない」。前出の男性コスプレイヤーは「アニメショップがあればいい、という単純な話じゃない。買い物するぐらいしかできないでしょ?」と、あきれた表情で吐き捨てた。 どうやら、“民族大移動”は難しそうな気配である。(写真=事件当日、封鎖される中央通り。この日からアキバのホコ天は消えた)
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レジャー 2008年07月02日 15時00分
ラジオNIKKEI賞(JpnIII 福島芝1800m 6日)追い切り速報 ロードニュースター 重賞初Vへ意欲
「第57回ラジオNIKKEI賞」(JpnIII 福島芝1800m 6日)の最終追い切りが2日、東西両トレセンで行われた。秋への飛躍を期す若駒がそろったなか、ここにきてメキメキと力をつけてきたロードニュースターが栗東DWコースで軽快な走りを披露。初重賞制覇へチャンスをグッと引き寄せた。 飛躍の秋が見えている。ロードニュースターが重賞初勝利へ、闘志を燃やしている。 前走、東京で行われたエーデルワイスSはクビ差の惜しい2着。しかし、この敗戦が改めてニュースターの能力を示した。 「レース後、ジョッキーがあがってきて『ごめん』と謝ってきたぐらい。厳しいレースになってしまった」と浅見助手は振り返った。 「いつもはゲートが悪いのに、あの時に限って良かった。そしたら前に壁をつくれず折り合いを欠いて、内に入れざるを得なかった」 4角を回ったときはまだ15番手。馬込みの中でもまれ込み、行き場を失った。まともに追えたのはゴール前の50m程度で、そこから猛然と追い上げたのだから「あの着差は立派」というのもうなずける。負けて強しの内容だった。 今回は中2週で再度、長距離輸送があるが、中間は熱心な乗り込みを続けている。父のエアエミネムは3歳の夏から一気に力をつけた。その血は確実にニュースターにも受けつがれているようだ。 「まだ体は緩いけど、その分、良くなる余地は十分にある。3走前のあざみ賞の後、ハリをして休ませた。それから馬が変わった。追い切りでも首を使ってダイナミックな走りができるようになったから」 まだ2勝馬だが、スピードと切れ味は重賞級。「ハンデは少し見込まれたけど、重賞でも楽しみ」と期待していた。 【最終追いVTR】DWコースで単走の予定が、たまたま前を行っていたコロナグラフ(3歳1000万)と直線だけ併せる形になった。間隔が詰まっているため、終いだけ脚を伸ばすケイコだったが、気配は抜群。余力を残してラスト11秒6なら十分だ。
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レジャー 2008年07月02日 15時00分
函館スプリントS(JpnIII 函館芝1200m 6日)追い切り速報 伏兵マイネルスケルツィが怪気炎
2007年の京都金杯の覇者マイネルスケルツィ。近走はダートへ路線変更したが、そのスピードは芝でも侮れない。 「もちろん、千二でも通用すると思っています。ただ、後ろからつつかれるとダメなので2、3番手からのレースをしたい」と桑原調教厩務員は好位からの競馬を示唆する。 6月26日に函館入りしたばかりだが、馬体の張り、動きは久々を感じさせない。 「まだ帰厩して日が浅いけど、牧場でもしっかり乗り込んでいるので仕上がりはいい。あとは当日のテンションがどうかだけ。ケイコでも角馬場に入れるとイレ込むのでそのあたりが気になる」 桑原さんは当日の落ち着きを課題にあげた。 【最終追いVTR】ダートコースで5F72秒6、上がり3F41秒7→12秒8。課題だったテンションの高さも見られず、落ち着き十分。終始、馬なりだったが、最後まで軽快な走りを見せた。函館の環境にも、すっかりなじんでいる。
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レジャー 2008年07月02日 15時00分
遠い記憶 根岸競馬場の歴史(28)
先週に続いて、根岸競馬場の昔を知る関係者の座談会をお届けする。 W(元理事) 1本だけの練習馬場の狭さで困ったことは? K(元騎手) 1周1500mぐらい。追い切りのときなんかおっかなかったな。後ろから、2頭くらいで併せ馬でこられると…。 B(元騎手) 僕は繋駕馬レースのとき、ぶつかって埒(らち)を越え、1メートルぐらい土手の下へ車をつけたまま落ちたことがあってね。体が馬の上に飛ばされて、馬の頭をその上から夢中でおさえていたんだよ。それで何事もなかったが、馬が起きたら大変だったね。おかげで、あとで褒められたんだよ。 −−服装が厳しく、クラシックの演奏もあった。 W 何年ごろのことかな?そんなことがあったんで、コースを修理したのかな。…ところで昭和4年(1929年)の競馬番組を見ると、その年の春は勝馬確定や着順変更などの表示は、それぞれ色別の信号旗を使っていたのが、秋になると色別の信号灯になっている。この年、新スタンドが完成しているから、それに伴ったものなのかな。 N(元騎手) そのころ、正午はサイレンではなく、ドンが鳴っていたね。あれはどこからだったのかな。 K 横浜競馬の昼休みには音楽演奏をやっていた。 W いつまでやっていたのかね。 K 昭和の8、9、10年ころ、競馬倶楽部時代で終わったかもね。 K 一流の演奏者を呼んできて、クラシックをね。それだけ競馬は高尚な楽しみだったのだな。 T 紳士、淑女のね。 W 横浜競馬は外国人さん中心で、特異なムードがあったよね。音楽もそうだが…。食堂は帝国ホテルだったのかな。 K いや、ホテル・ニューグランドだったと思う。 N 一般のところは別だった。一般の方は洋食が川村屋。ウナギのわかなと並んでいたね。寿司はどこだったかな。たしか、泉平だったな…。
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トレンド 2008年07月02日 15時00分
書評「現役ゴト師がバラす 合法的パチンコ・テクニック」ゴト師T著、メタモル出版
あの手この手でパチンコ台にゴト(イカサマ)を仕掛け、出玉を抜くゴト師。本書は業界の裏の裏まで知り尽くした現役のゴト師が、匿名だから明かせる必勝法「4の4打法」「4の5打法」を初公開する。 これはゴト師が裏モノのROMを仕込んだ台(約3万台)を見抜き、一定の手順を踏んだ打ち方をすればカタギのユーザーでも簡単に大当たりを引けるというもの。逆を言えば、この打法は裏モノが仕込まれていない台では通用しない。 イカサマで勝つなんてとんでもないという人もいるだろうが、そもそも高いカネを払って手に入れるパチンコ攻略法には複雑な手順が必要であったり、技術的に不可能なものが多い。合法的とされるゴト師の手口がどのようなものか、知っておいて損はないだろう。 「平打ちに徹して勝てるほど、パチンコは甘くない」とは著者の弁。パチンコ業界の真実を知り、ホールのからくりを知るためにもお薦めしたい一冊だ。(税別1300円)
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トレンド 2008年07月02日 15時00分
書評「ご主人様と呼ばせてください」サタミシュウ著、角川文庫
遠隔操作で調教されていく男女を描いた、某有名作家の“SM青春小説”シリーズの第2弾。 《さっき胸にキスされて、本気でいますぐあそこも触って欲しいと思いました。本当に、自分でももてあますほどに、体がいやらしくなってきています。(中略)またすぐに私をぐちゃぐちゃにしてください。私のあそこはいまにも、滴り落ちてきそうなほど、ご主人様に愛撫されることを待ち焦がれています。…》 男の支配を望む潜在的な女性心理がリアルに描かれ、自慰にふける女性が続出したという本書。扱うテーマはそこそこ重く、ライトな官能小説と割り切って読んだほうが楽しめるかもしれない。(税別476円)
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その他 2008年07月02日 15時00分
葉山瑠菜ちゃん大特集予告
内外タイムス7月4日号(7月3日発売)に葉山瑠菜ちゃんの大特集をカラーで掲載します。 <プロフィール>1月14日 奈良県生まれ血液型:A型スタイル:T156 B86 W58 H85デビュー:2004年11月1日「TSミュージック」において趣味:ダンスと音楽(レゲエetc)初エッチ:15歳性感帯:クリトリスと背中所属:フリー <スケジュール>10日まで「DX歌舞伎町」7月11日〜20日「池袋ミカド劇場」7月21日〜31日「渋谷道頓堀劇場」8月11日〜20日「東大阪・晃生ショー劇場」 みなさん応援よろしく!
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芸能 2008年07月01日 15時00分
キムタク・織田裕二 NHK大河「龍馬伝」主演めぐりバトル勃発!?
2010年度のNHKの大河ドラマ「龍馬伝」は、明治維新の最大功労者である坂本龍馬の生涯を、三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎の視点から描いていく物語だ。この龍馬役を巡って2人の人気俳優が名乗りを上げ、火花を散らしているという。 龍馬役に名乗りを上げているといわれるのが、フジテレビの“月9”「CHANGE」で総理大臣役を演じて話題となったSMAPの木村拓哉(35)。そしてもう1人が7月期の月9ドラマ「太陽と海の教室」で主演を務める織田裕二(40)。実はこの2人、芸能界でも知る人ぞ知る因縁浅からぬ仲だ。 「キムタクの前で織田の話は絶対タブーなんです。彼の名前を出した瞬間、あからさまに不機嫌な顔になる」(テレビ関係者) 織田にとっても同様で、「木村の話はやはりタブー。事情を知らない映画スタッフが織田の前で『CHANGE』の視聴率の話をしていたら席を立ってしまったそうです」(芸能プロ関係者) 芸能界を代表する2人の大スターがここまでして互いを意識するのには理由がある。「織田にとってキムタクは、プライドもあり、負けられないんです」と語るのは某芸能プロ関係者。実は、織田は月9の出演オファーを一度、断った経緯があったという。 「キムタクサイドの意向で放映が5月にもつれ込んだため、織田の月9は放送回が削られてしまうことになる。当初は、そんな条件では受けられないと断ったが、結局、初回と最終回を2時間スペシャルにすることで織田は納得した。さらにもう1点、出演を決意した背景がある。織田はTBSで放映された『華麗なる一族』の後のドラマ『冗談じゃない!』で目も当てられないような惨敗を喫し、男を下げてしまった。今回、この仕事を受けたのは、そのリベンジでもあるわけです」(フジ関係者) それだけではない。織田が主演した映画「椿三十郎」は興行収入20億円で、木村が主演した映画「武士の一分」の40億円に。はるかに及ばなかった。TBSドラマ、映画、そして月9と、木村と織田は好むと好まざるとにかかわらず絶えず比較され続けてきたのだ。 「織田は以前主演した映画『踊る大捜査線』の2作とも100億円を超える興収を記録。一方、木村の『HERO』は80億円止まり。しかし最近は映画、ドラマともキムタクが上。業界関係者が織田のフジ月9が『CHANGE』の視聴率を抜けるかどうかに注目しているのはそんな因縁があるからです(テレビ関係者) そして現在、この2人が「龍馬伝」の主役を巡って争っているというのだ。 「木村は映画『武士の一分』で時代劇に目覚めている。NHKドラマの実績がないことから、何としても大河ドラマでハクを付けたい。一方の織田はデビューがNHKだったにもかかわらず、大河からはいまだにお声がかりがない。龍馬役は以前からチャレンジしたい役だったそうです」(テレビ関係者) こんな状況に、さぞかしNHKスタッフももろ手を挙げて喜んでいるか思いきや、そうでもないらしい。 「木村を主役に使えばスケジュールを限定され、ほかの共演者をキャスティングできない。『新選組!』でSMAPの香取慎吾を起用した時に痛い目に遭っている。一方の織田もスタッフに対する要求が厳しく、限られた予算では無理」(NHK関係者) どうやらNHK局内では「2人は落選する可能性が高い」(同)とみられているようだ。 ちなみに6月初旬に行われた「龍馬伝」の制作発表会見で、プロデューサーは龍馬役について「龍馬は33歳で死を迎えましたが、当時の33歳は非常に落ち着いた大人の男だったと思う。ですから実年齢にこだわらないで、ちゃんとした“大人の”俳優の方にやって頂いたほうがいい」と語っている。 ともかく因縁の対決の行方が注目される。
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