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芸能 2009年09月08日 15時00分
「R JEWEL GIRLS」第6回 白熊 凌子
「R JEWEL GIRLS」のメンバーで一致団結をして、リアルポーツを盛り上げていきたいです。突撃取材もどんどん挑戦していきたいと思いますので応援よろしくお願いします」 1991年7月18日生まれ。東京都出身。T157、B83W59H85。B型。趣味=料理。グラビアサイト「現役女子高グラビア」出演中。http://www.nifty.com/genjyo/
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芸能 2009年09月08日 15時00分
冨永愛、土屋アンナが「FNO」PR
モデルの冨永愛、土屋アンナ、タレントのクリス・ペプラーが7日、都内で開かれた「FASHION'S NIGHT OUT(以下FNO)」開催発表記者会見に出席した。 「FNO」は、“買い物促進”で景気を活気づけるファッション・イベント。ファッション誌「VOGUE」が主催し、同誌が販売されている世界13カ国で一斉に行われる。 日本では、11日夜(午後8〜11時)に表参道・青山エリアにある200以上のショップが深夜までオープンする。 買い物について質問された土屋は「私もその3時間にたくさん買い物します。買い物をしているところを見ても、プライベートなんで…。急に携帯などで写真を撮られて半目開きになったりするのも嫌なので、撮りたかったら言って」と話した。
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芸能 2009年09月08日 15時00分
IMALUが暴露“さんまはケチ”
江崎グリコ「ポッキー」の新テレビCM記者発表会が7日、都内で行われ、2009ポッキープリンセスに起用されたタレントの忽那汐里、益若つばさ、IMALUが登場。はじける笑顔でCMで踊った「ポッキーダンス」を披露した。 これがCM初出演となるIMALUは「CM出演するならポッキーだよねと言っていたのが現実になりうれしい」と大喜び。母で女優の大竹しのぶからも「よかったね」と祝福されたという。 今年は記念すべき第11回目の11月11日「ポッキーの日」とあって、同月3日に行われるイベントで配られるアニバーサリーポッキーのパッケージデザインも手がけた。かわいいイラストを描いた2人とは対照的に、自分の名前と顔写真がてんこ盛りの“IMALU印”ポッキーを完成させ「私、出たがりですね」とポロリ。 お笑いタレントの父・明石家さんま譲りの目立ちたがり精神もちゃっかり発揮。 今月19日の20歳の誕生日には「友達と海外に行きたい」と明言。 旅費を父親に出してもらってはと突っ込まれると「意外とケチなんですよ〜」と、超大物の意外な小ささを暴露して、会場からしっかり笑いを取っていた。
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芸能 2009年09月08日 15時00分
村上知子 小泉、広末との共演に驚き
タレントの木下優樹菜とお笑いトリオ森三中の村上知子が7日、都内で「明治ミルクチョコレート」新CM発表会に出席した。 今年で発売83年目を迎える明治「ミルクチョコレート」は38年ぶりに新パッケージに変更。新CMのテーマは“We love Pure”。2人のほかに、女優の小泉今日子、広末涼子が出演する。 村上は「メンバーを聞いて驚いた。途中までドッキリかと思ってた。今でも信じられない」と驚きを隠せない様子。「ピュア」な経験を問われた木下は、「中1の時に告白してフラちゃって。そこから道を外れた」と答えて笑わせた。
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芸能 2009年09月08日 15時00分
石田純一が娘・すみれのロマンスポロリ
米国映画「男と女の不都合な真実」(18日全国公開)の試写会イベントが7日、都内で行われ、ゲスト出演した俳優の石田純一が、かねてから交際中の女子プロゴルファー・東尾理子とのラブラブぶりを大ノロケ。調子に乗りすぎて娘でモデルのすみれの「不都合な真実」までポロリしてしまった。 「僕と彼女の間に不都合な真実はないです」と相変わらず舌好調の石田。 まだ理子の父・東尾修から交際OKのお許しは出ていないが、「そこは逃げも隠れもできないので礼を尽くしてあいさつするつもり。でも、ある程度時間をかけて互いを理解することが必要」と誠意ある大人の男ぶりを見せた。 とはいえ自分も19歳になる娘をもつ父親。彼女の父親の気持ちもわかると度量の広さを見せたところまではよかったが、「先日娘がすごくいい感じの彼氏を連れてきたが、あまりイチャイチャしているのを見ると頭にくる」と、思わず娘の初ロマンス(?)まで暴露してしまった。 「ちょと余計なこと言ったかな。彼氏というかボーイフレンド」とあわててフォローを入れたが、そこは“恋愛の伝道師”。「恋ほどいいものはない」と娘にもしっかり教育しているようだ。
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スポーツ 2009年09月08日 15時00分
「時代」を彩った男と女・あの人は今 元マラソンランナー・宗茂
「おっ!! 珍しい人が来ている」。先のベルリンで開催された「世界陸上」で、各国のコーチたちが集まるブースに、かつてのマラソンランナー・宗茂氏がいたので、陸上関係者は驚いていた。その場にいた人は、茂氏は九州保健福祉大学の客員教授と同大の陸上部監督に専念していると思っていたからだ。 最近、テレビ番組などで「弟の猛さんは陸上競技に関係しているものの、兄の茂さんは“気功”に関係している仕事をしているのでびっくりしました」などと報告されていた。 あの双子のランナー宗茂氏と猛氏が現役でバリバリ活躍していた時代は、日本男子マラソンの全盛期。瀬古利彦氏、中山竹通氏、児玉泰介氏、伊藤国光氏ら、そうそうたるメンバーが競い合っていた。 「苦しげに走る宗兄弟の姿にはファンも多かった。そして旭化成というチーム名を全国的に有名にした。日本の長距離界をリードしていったのです」(陸上競技関係者) 88年、茂氏は「これ以上、周りの期待に応えられない」と選手を引退。その後は旭化成で陸上部監督を務めた後、九州保健福祉大の客員教授と同大の陸上部監督を務めている。それと並行して、何と昨年の6月から宮崎県延岡市内で健康気功塾を開いていたのである。 茂氏と猛氏が揃って出走したフルマラソンは全部で32回あるが、そのうち兄弟での先着した回数は兄・茂氏が12回で、猛氏が10回。初マラソンや85年の北京国際マラソンのように、兄弟でワンツーフィニッシュ(1位と2位)となったレースは4回。そのうちの2回はいずれも別府大分毎日マラソンで、すべて兄・茂氏が勝利を収めている。 茂氏は「マラソンは練習よりも調整」と常々言っており、そのことが気功塾の開設となった。弟と違って「何をするにも大雑把」(本人)な性格と「練習より調整」という考えが、陸上に絡めた気功へ繋がっているのかもしれない。 なお、明日は弟・宗猛氏の登場です。◎85年北京国際マラソンは双子で優勝 宗茂氏といえば、85年10月の北京国際マラソンで弟・猛氏と兄弟同タイムで優勝(同タイムだったが兄・茂氏の優勝)。国際マラソンでの兄弟1位、2位独占はいうまでもなく、世界初の快挙だった。その後、“マラソンといえば宗兄弟”といわれるまでになった。とくに兄・茂氏のマラソン人生は華々しかった。 78年2月の別大マラソンで、茂氏はスタートから果敢に先頭に立ち、当時としては驚異的な5キロを14分台で走り、そのペースを刻みながら、40キロまでは当時世界記録保持者のデレク・クレイトン氏の2時間8分34秒のペースを上回っていた。 だが、ラスト2キロあたりから、あの別府湾特有の強風に襲われ、世界新記録の偉業は達成できなかった。それでも世界歴代2位の2時間9分5秒6で、日本人では初のサブテン(2時間10分以内)で優勝した。 また、茂氏は3大会(モントリオール、モスクワ、ロサンゼルス)連続の五輪代表に選ばれた。しかし、弟・猛氏とともに代表となったロサンゼルス大会では、4位に入った猛氏から大きく遅れての17位だった。
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スポーツ 2009年09月08日 15時00分
協栄ジム期待のホープ・佐藤洋太の素顔に迫る
ボクシング界の次代を担う男がいる。日本スーパーフライ級6位の“みちのく魂”佐藤洋太だ。10月11日には同王座挑戦権を懸けて、杉田純一郎(ヨネクラ)とのリベンジ戦に挑む。日本で最多の世界王者を輩出している名門・協栄ジム期待のホープの素顔に迫った。◎生い立ち 小学生の頃、元世界ヘビー級王者マイク・タイソンの試合を見てボクシングのとりこになった。この時から将来の夢はプロボクサー。中学に入るとその思いはますます強くなった。当時は先輩の後輩イジメがはびこっており、佐藤も目をつけられた。袋叩きにされ、「強くなりたい。こいつらを見返してやろう」と決意。中学3年生の時、叔母さんが盛岡南高校ボクシング部の監督と知り合いだったこともあり、ボクシングを始めた。 その後、高校に入学するとメキメキと実力をつけ、高校3年生でインターハイ5位、国体3位の成績を残した。 その活躍が認められ大学に進学するも「プロになりたい」と一念発起。泣きながら反対する母親を押し切り大学を中退すると、当時憧れていた佐藤修(元WBAスーパーバンタム級王者)の所属している協栄ジムの門を叩いた。◎現在 今は、ガソリンスタンドでバイトをしながらボクサーを続けている。上京した時から6年間、ずっと同じところでお世話になっている。だが、プロといっても現実は厳しい。「保証が無いんで、働かないと全然食っていけない」。 当面の目標は「最強後楽園 日本タイトル挑戦権獲得トーナメント決勝戦」(10月11日、東京・後楽園ホール)で優勝することだ。 相手は4年前に東日本新人王準決勝で敗れた“因縁の相手”杉田。4Rを戦い抜き、自分では勝利を確信していた。ところが判定は1-2。「これで負けるんか」とショックを隠しきれなかった。その後、杉田は日本タイトルに挑戦したが、佐藤は回り道を余儀なくされた。 それだけに「試合では負けたけど、実力では負けていない。同じ相手に2回負けたら立ち直れないほどのダメージを受けるんで。まずは打倒・杉田。恨みが募ってますから」と勝利を誓う。◎今後 その先に見据えるのが「日本タイトルに挑戦すること」だ。このトーナメントで優勝すれば自動的にタイトルマッチ挑戦権を獲得できる。 佐藤は「日本チャンピオンになるビジョンはかなり見えてきている。25歳のうちに日本チャンピオンになりたい。そして28歳までに世界チャンピオンになれたら」とプランを明かす。 そのために現在はパンチ一発一発の打ち方や接近戦の練習でフィジカル強化を図っている。すべては「足を使った華麗なアウトボクシングの完成」のため。「華麗にさばいてカウンター。ここにボクシングの美学を感じます」と理想系を語る。◎家族 そんな佐藤の支えとなっているのが家族の存在だ。現在は奥さんと2人の子供(2歳2カ月と4カ月)の4人で暮らしている。 ひとつ年下の奥さんとはバイト先で出会い、結婚して3年目。「テクニックはほとんど使わなかったっス。僕がガンガンいって、ゴリ押ししたんですけどね。恋は(ボクシングとは違って)インファイターなんです(笑)」だったとか。 守るものが出来てから「負けられないって気持ちは、子供が生まれるとなおさら強くなりましたね」と言う。家にいる時は子供をお風呂に入れたり、父親の仕事をきっちりこなす。ボクシングとの両立の秘けつは「楽しんでやること」で、「苦にはならないです。充実してるんで、時間が過ぎるのが早いですよね」と満面の笑みを見せた。 夢は子供をプロボクサーにすること。「上の子は優しぎるけど、下の子は強そうな気がする。まあ、本人次第ですけどね」と明かしてくれた。 今ノリに乗っている“みちのくのスピードスター”佐藤が、スターダムの階段を駆け上がっていく日は近い。<プロフィール> さとう・ようた 1984年4月1日生まれ。25歳。岩手県盛岡市出身。2児の父。171センチ、58キロ。B型。日本スーパーフライ級6位。趣味はスケボー。好きな芸能人のタイプは西山茉希。プロ戦績19戦16勝(8KO)2敗1分。アマ戦績32戦22勝(2KO・RSC)10敗。国体3位(バンタム級)。
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スポーツ 2009年09月08日 15時00分
WWE 一匹狼・山本がECWで大活躍
世界最高峰のエンタメプロレス団体・WWEが提供する「ECW」に参戦を果たし、見事アメリカンドリームをつかんだ元新日本プロレスの山本尚史が、第二のレスラー人生で『YOSHITATSU』として輝きを放っている。かつてWWWFで成功を遂げたドラゴン・藤波辰爾に劣らず、いまや“第2のタツ”もその評価はうなぎ上り。日本で陽の目を見られなかったレスラーは、今やメジャーを狙う一番手となっている。 昨年WWEと契約を結び、2軍のFCWから昇格をうかがっていた山本が、6月末に1軍の舞台となる「ECW」でデビューした。その快挙は日本でも日本テレビのワイドショーで取り上げられるなど、暗い話題の多いプロレス界に明るい話題をもたらした。 初戦から元US王者のシェルトン・ベンジャミンをハイキック一閃で破る華々しいデビュー。トップ戦士相手に初陣を飾ったことからも、団体サイドの期待の高さがうかがえる。 新日本時代の山本といえばことごとくチャンスをモノにできなかった。棚橋弘至や永田裕志と組んでIWGPタッグ王座に挑戦するも、一度もベルトを腰に巻くことはできなかった。 そんな男が、FCWでの1年の下積みを経て、YOSHITATSUとして花開いた。本人が明かしたところによれば、このリングネームはFCWでエージェント兼実況コメンテーターを務めるダスティ・ローデスから「ある日いきなり呼ばれて『今日からお前はヨシ・タツだ』と決められた」とのこと。父親の「芳龍」からとった説や、スーパーマリオに登場するキャラクター「ヨッシー」とドラゴンの「龍」を組み合わせてヨシ・タツになったなど諸説あるが、結果的にこの由来のよく分からない名前が良かったのかも。 新日プロ関係者が指摘する。「ヨシタツがこの先どこまで活躍できるかわかりませんが、当時のWWWFで活躍した藤波さんを超えるような偉大なレスラーになるかもしれないよね。まあ山本と藤波さんは性格的に似ているところもあるし、ある部分で何を言われても動じないから。向こうで大成するならそれぐらい神経が図太くないとね」。世界最高峰の舞台で飛躍を続ける第2のタツが、スーパースターとして日本凱旋を果たす日が待ち遠しい。
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スポーツ 2009年09月08日 15時00分
最重量・浜の「錦糸町伝説」
日本人最重量の203キロを誇る全日本プロレスの浜亮太。その巨体が物語るように食事に関してのエピソードには事欠かない。錦糸町では今でも数々の伝説を残している。 角界を引退し、全日プロ入団時は185キロだったが、わずか1年足らずで203キロまで増量。本紙記者も一度ボディープレスを試し斬りしてもらったところ、象にのしかかられているようだった。 これだけ恵まれた体型になった要因は、言うまでもなく食事。現在は一度の食事でどんぶり飯3杯と、ちゃんこを3杯だが「これでも食べなくなった方」だという。 では、力士時代には一体どれほど食べていたというのか。 「錦糸町で、おかわり自由のカツ丼屋があったんですけど、力士仲間と2人で10杯ずつ食べたんです。おいしかったんで、味をしめて次の日も行ったんですけど、そしたら黄色い張り紙があって『おかわりは2杯まで』と手書きされてましたね」 それだけではない。「5000円で飲み放題の店があって、10人くらいで連日のように通ってたら半年でつぶれちゃいました」と苦笑いを浮かべる。浜の胃が一体どうなっているのか。一度調べてみたいものだ。
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スポーツ 2009年09月08日 15時00分
ノア 田上&川田“険悪タッグ”
プロレスリング・ノアの田上明社長が7日、都内の同事務所で会見。故・三沢光晴さんの追悼興行の追加カードが発表、10・3大阪府立体育会館大会で9年ぶりに川田利明とのタッグ結成が決定した。 田上社長は9・27日本武道館大会の追加カードとして秋山準&鈴木みのる&杉浦貴VS力皇猛&モハメド ヨネ&KENTA、さらに天龍源一郎、佐々木健介ら参戦を発表。10・3大阪大会の追加カードとして田上&川田VS秋山&KENTA、杉浦VS高山善廣、新日本プロレスの蝶野正洋、青柳政司の参戦も決定した。 中でも注目カードは、全日本プロレス時代以来、田上は9年ぶりに川田とタッグ復活だが「川田は三沢さんの後輩であり、三沢さんともタッグを組んでいたし、その後は僕と組んでました。三沢さんとの共通点は川田。オレと川田のチームは面白いんじゃないか」と経緯を説明。 だが、その一方で「もう(試合まで)会わないと思います。私生活のつながりもない。仲良しコンビじゃない」。コンビでの連携は話し合わず、ぶっつけ本番で臨むという。 なお、蝶野のカードについては「小橋あたりとやったことがあるので、タッグマッチ、6人タッグで組ましてやったら面白い。小橋と蝶野は組ませてやりたいね」とタッグ結成を示唆していた。 豪華カードが続々発表となった三沢さん追悼興行だが、田上&川田は本当に大丈夫なのだろうか。一抹の不安がつきまとっている。
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