そんな中、14日に小倉のインスタグラムで鯵のなめろうやかぼちゃの煮物など5〜6品を並べた手料理が披露されると、ネットでは「ゲロに見えた」「茶色が多い」といった文句や、「この人、前の旦那さんに味がしないって言い振らされてたよね」などと、わざわざ過去のネガティブな情報を持ち出すようなコメントも見られた。これらはいずれも女性による投稿である。
このようなケースは至る所で散見され、しばしば“女の嫉妬”と揶揄される。
“女の嫉妬”には色々なケースあるが、この場合は「ある特定の(あるいは不特定多数の)自分よりも幸せそうにしている同性の様子が鼻に付く女性の心理」を指している。ネットの中に限らず、ある程度打ち解けた女性同士の会話の中では、非常によく見られる現象だ。
その原因の一つには、心理的ストレスを避けようとする心の働きがある。人は物事を判断したり認識したりする時に、自分を基準にして対象と比較する性質がある。ターゲットとなる相手の女性と自分を比較した際に、自分の方が女としての幸福度が低いと判断した場合、その女性よりも自分の価値が劣っていると感じてしまう。その時点で生じる心理的ストレスこそが、対象となる女性に対する「鼻に付く」等の嫌悪感に繋がるのである。
さらに、嫌悪感を感じるというだけでは収まらず、SNSや女子会などで、その場にいないターゲットの失敗体験や悪い噂、あるいは勝手な憶測などを吹聴して印象を操作しようとする女性を見かけたことはないだろうか。上記に挙げた小倉のインスタグラムに対するコメントもその一例である。
この場合、自覚の有無に関わらず、第三者から見たターゲットの客観的価値を落とすことによって、自分の劣等感が原因で揺らいでいる、不安定な自分の価値を支えるための行動として表れている可能性が高い。そして、「事実だから」「火の無いところに煙は立たず」などの理由をつけてその行動を正当化し、悪びれずパターン化してしまっていることも多い。
また、共感性が高く、横社会の繋がりが重要な女性集団は、似た者同士が足並みを揃えて便乗しやすいという特徴を持っているため、同調することによって安心感や満足感を得ようとするところがある。例えば、パート先で誰かの陰口大会が始まると、肯定的に参加しない者は敵とみなされ、以降話に入れてもらえなくなってしまうなどということもある。どうやら、「同じ幸せレベルの私たち」と、「同じくらい不幸せ」でなければ不満、という傾向がある。
一方で、そうではない女性ももちろん存在する。
健全な自己肯定感を内在している女性は、周りに合わせることに執着し過ぎず、客観的視点で物事を捉えることができ、尚且つ自分の意見を大切にすることができる。
また、もしも話題となっている相手に引けを取らないくらい自分自身の幸福感や能力に対する満足度が高ければ、その相手はストレッサーとして認識されることはなく、鼻に付くこともない。つまり、健全な自己肯定感を持っている人は、いちいち他人の幸せに対して干渉することはないのである。
文:心理カウンセラー 吉田明日香