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有吉、後輩に「割り勘にしてくれ」と頼んだ過去を告白 どん底時代でも人望が厚かったワケ

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有吉弘行

 26日に放送された『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレビ朝日系)で“先輩と後輩の立場が逆転する”ことに有吉弘行が言及。ネットで話題となっている。

 この日、番組に寄せられた相談メールの投稿は、「いつもおごってくれていた師匠が急におごってくれなくなった」というもの。これに有吉は、「事情があるんでしょ」と師匠側を擁護したうえで、「(自分なら)家に持って帰って自分の胸に収めちゃうけどね」と自身の考えを口にした。その後、有吉自身が仕事のなかった“どん底時代”を振り返り、事務所の後輩であるお笑いトリオ、インスタントジョンソン・スギ。を飲みに連れて行った際、「本当にもうお金ないから、今日から割り勘にしてくれって飲んだ」と過去のエピソードを告白。その際、後輩のスギ。が「それでも行きましょう」と言ってくれたと有吉は嬉しそうに語った。

 このエピソードにネットでは、「よく毒舌言ってるけど、有吉って実は人情深そう」「有吉って昔は尖ってたイメージだけど、もともとけっこう柔軟に対応するタイプだったんだ」と、有吉の人柄に興味を示す声が寄せられた。現在では、テレビで見ない日はないほどのタレント・有吉だが、どのようにして仕事のない不遇の時期から復活を果たしたのだろうか。

 有吉は1994年4月、幼なじみの森脇和成と組んだお笑いコンビ、猿岩石で『進め!電波少年』(日本テレビ系)に出演しブレイク。コントや漫才ではなく、海外を旅する過酷なヒッチハイク企画で脚光を浴びた。帰国後も秋元康プロデュース、藤井フミヤ・藤井尚之提供の「白い雲のように」でミリオンセラーを記録するほどの人気者に。しかし、その後は低迷期を迎え、広島のローカル番組など細々とタレント活動をすることになった。後輩スギ。とのエピソードはこの頃の話だと思われる。

 その後、コンビは解散したものの、有吉は2007年8月に放送の『アメトーーク!』(テレビ朝日系)で、お笑いコンビ品川庄司・品川祐に「おしゃべりクソ野郎」と命名したことをきっかけに、“毒舌”“面白いあだ名をつける”お笑いタレントとして再ブレイクを果たす。その後も人気は途絶えることなく、現在、テレビ・ラジオを含めレギュラー番組12本を抱える売れっ子になった。

 そんな有吉は、事務所の後輩に対しても独特な気遣いで慕われているそうだ。事務所の後輩を寿司屋に連れていき、自分が先にネタを選んで「同じもの食べたいヤツ手を挙げろ」と言って遠慮させないようにするという。また、さりげなくテレビ番組で後輩芸人をネタにして笑いを取ったり、「1000円寄こせ!」などと言って激安のギャラで後輩の単独ライブに出演したこともあったそうだ。

 「有吉さんが経済的に苦しかった時期、食事代などはほとんど事務所の先輩のダチョウ倶楽部・上島竜兵さんからおごってもらっていたと言います。またこの頃、『内村プロデュース』(テレビ朝日系)だけが有吉さんを起用していたことでも有名です。番組のメインである内村(光良)さんから “仕事を選ばず、受けた仕事は絶対に手を抜かない”ようにアドバイスを受け、今でも有吉さんはそれを実践しているそうです。こうした先輩からの恩を、自分も後輩に返しているのかもしれません」(芸能ライター)

 紆余曲折を経て、現在の位置をキープし続ける有吉。先輩としてカッコ悪い時期を経ているからこそ、後輩に対する面倒見も良く、慕われているのだろう。

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