野村克也・元楽天監督(現楽天総監督)が星野政権の大きな不安点の一つとしてあげているエース・岩隈のメジャー行き。星野監督が招請される前の球団側と岩隈の間でのポスティング合意だけに、1年契約で来季勝負の星野監督が引き留めるのでは…という観測もあった。が、フロント首脳は、「星野監督も快く了承してくださったので」と、星野監督が快諾したことを明かしている。
なぜ星野監督は来シーズン終了後に海外FAの資格を得る岩隈を残留させなかったのか。星野新政権にかかる費用、さらに今後の補強費として岩隈の落札金を、球団側がアテにしているのは事実だが、現場の監督とすれば、今ひとつの調子だった今季でさえ10勝している岩隈が抜けた穴の方が大きいだろう。
しかし、星野監督はあっさり認めた。その裏には実は、2人の間には08年夏に行われた北京五輪の日本代表人事を巡り、確執があったからだ。当然日本代表入りすると思っていた岩隈を星野監督は選出せずに、プロ入り2年目の田中将大を抜てきしているのだ。
「なんで田中なんだ」と悔しさを噛みしめた岩隈は、この年、21勝で最多勝、防御率1.87で1位、さらにパ・リーグのMVPなどタイトルを独占、沢村賞まで受賞している。さらに、翌09年3月に開催された第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表、サムライジャパンに選ばれると、北京五輪落選の鬱憤を晴らすように、大活躍をしている。
「ボクが2大会連続MVPをもらいましたが、本当のMVPは岩隈さんです。すいません」と、松坂大輔(レッドソックス)が頭を下げたほどで、確かに真のMVPは岩隈だった。
闘将と呼ばれる星野監督は、現役時代の自らがそうだったように、闘志をむき出しにした投手が大好きで、沈着冷静なタイプは好まない。だから、北京五輪日本代表監督として、岩隈ではなく、田中を選出したのだ。
岩隈のメジャー流出を星野新政権のアキレス腱と指摘する野村氏ですら監督の時には「マー君、神の子不思議な子」と田中を可愛がり、岩隈に対してはこうブツブツぼやいていた。「自分から代えてくれと言うんやから、信じられんわ。ガラスのエースや」と。
長い間、ヒジ痛など故障に苦しんだ岩隈とすれば、体調管理に慎重になるのは当然なのだが、野村監督ですら不満を漏らす。激情家の星野監督のようなタイプには、もっと物足りなく感じられるのだろう。北京五輪同様に、岩隈抜きでも大丈夫、田中を絶対的な新エースに育成という構想を描いていることは間違いない。
さて、星野構想通りに田中が絶対的なエースになり、岩隈のポスティングでのメジャー流出のダメージを防げるのか。田中も今季はケガに泣かされて、11勝止まりで終わっているだけに、星野監督の手腕が問われることになる。