「ローテーションの2、3番手に位置づけられていたピネタがヤンキースにトレードされました。3、4番手だった岩隈が繰り上げとなり、日本での開幕2連戦に投げる可能性も同時に高まったというわけです」(米国人メディアの1人)
しかし、岩隈のモチベーションを高めているのは“凱旋登板”だけではなかった。岩隈が交わした『出来高払い』の契約は、異例尽くしと言っていい。
まず、岩隈とマリナーズの契約内容を整理したい。1年契約、年俸150万ドル(約1億2500万円/1ドル=75円換算)。出来高のオプションは最高で340万ドル(約2億5500万円)。楽天での年俸は推定3億円。メジャー挑戦の夢を叶える代償として、年俸は「半分以下」になってしまったわけだ。
また、2010年オフ、ポスティングシステムで交渉が決裂したときのことだ。独占交渉権を獲得したアスレチックスは「合意に至っていないため、詳細は公表できない」としていたが、岩隈サイドとは300万ドルから500万ドルの間で年俸交渉を進めていたという。交渉決裂の理由は「条件(年俸提示)が低すぎたから」だが、結果的にさらに低い年俸額でマリナーズと契約することになってしまった。
「岩隈は2011年、右肩を故障しています。『故障』が彼の評価を落としたというか、それが原因で彼の調査を取りやめたメジャー球団もありました」(前出・米メディア陣)
アスレチックスと交渉が決裂したときは、「金目当て?」「メジャーで実績もないのに…」と米メディアにも叩かれたが、マリナーズの入団会見では好意的な質問ばかりが寄せられた。「アスレチックスの提示額よりも低い年俸」で契約したことで、「彼は純粋にメジャーで頑張ろうとしている」と、悪評が一変したからである。
「代理人を変えたのも良かったと思います。前代理人も岩隈のために奔走していたのは認めますが、現代理人のポール・コブ氏のオフィスは約40人のメジャーリーガーを抱えており、各球団のGM、幹部職員も一目置いています。2010年ナ・リーグ防御率トップのジョシュ・ジョンソンの代理人でもあり、綿密な下交渉を行うと評判です」(前出・同)
『340万ドルの出来高契約』の中身が分かった。簡単にクリアできる条件ばかりなので、『出来高』は、事実上の年俸と言っていい。まさに、“敏腕代理人”である。
たとえば、先発登板が20試合に達した時点で『プラス20万ドル(=約1500万円)』。先発22試合なら、『プラス25万ドル(=約1875万円)』。同25試合で『30万ドル(=約2250万円)』。同30試合で『40万ドル(=約3000万円)』と支給額がだんだんと増えていく。投球イニング数も同様だ。140回に達した時点で、「50万ドル強がプラスされ」(前出・同)、150回、160回…と、イニング数が増える度に支給額がアップしていく文面になっていた。オールスター出場や、タイトル争いによるボーナス的なオプションも付いていた。
「この出来高払いの契約文が『岩隈サイドに有利』と言わざるを得ないのは、先発出場試合数とイニング数の両方にオプションを付けたことです」(米特派記者の1人)
投球イニングの出来高は、140イニング以上からだが、「1試合の登板イニング数が6回」とすれば、23試合でクリアできる。近年、マリナーズの主力先発投手は「30試合、200イニング前後」を投げており、「ローテーションの3、4番手として期待している」という入団会見のマ軍側のコメントからしても、大きな故障もない限り、簡単にクリアできるだろう。また、先発登板は「勝敗」でも「クオリティ・スタート(6回3失点以内に抑える)」でもなく、『出場試合数』でプラス査定される条文になっている。極端な話、たとえ1イニングでノックアウトされたとしても、「プラス1」で加算されるわけだ。表向きは低年俸だが、実際は高額年俸…。代理人の巧さである。
「マリナーズは日本人オーナーがいますから、岩隈との交渉は最初から好意的でした。岩隈の家族をシアトル郊外にも案内し、生活環境のことも色々と説明していました。マ軍は2、3年の複数年契約を予定していましたが、ポール・コブ氏は1年契約にこだわりました。残留するにしても、2年目以降に高額年俸を勝ち取るのは確実です」(日本球界関係者)
メジャーで成功するために必要なもの。それは、有能な代理人を見つけること…。アスレチックスとの交渉決裂から1年、岩隈は海外FA権取得まで待った甲斐があったようだ。