これを専門家はどう見るのか。『伊藤博文を撃った男-革命義士安重根の原像』(中公文庫)の著者である、ノンフィクション作家の斎藤充功氏が言う。
「伊藤公は、明治政府の首相まで務めたあの時代の英傑。菅官房長官の発言はごく自然に出た言葉だと思う。一方、韓国国民にとって安重根は祖国の英雄。この気持ちもわかります」
暗殺は1909年10月26日に起きた。統監を辞任して枢密院議長となった伊藤は、日露交渉のために満州のハルビンを訪れた際、ハルビン駅で安重根に射殺されたとされている。
しかし、ハルビンを訪れ現地取材した斎藤氏はこう語る。
「暗殺にはいろいろと不明な点もある。胸を撃たれ死亡した伊藤公ですが、銃弾の入射角は上から下に入っているのに、安重根は低い姿勢で撃っている。それなのに、遺体は解剖されることもなかった。そんなことから、狙撃手は他にいるという説もあるのです」
しかも、伊藤が訪れた時期にも疑問が残るという。
「すでに68歳だった伊藤公を、ハルビンに呼んで日露交渉する必要があったのか。わざわざハルビンを指定して安重根と遭遇させたことについても、謀略のニオイがしないでもない」(同)
民族主義者、安重根の命をなげうった抗日活動か、それとも謀略か−−。
「韓国内ではいろいろな説があることはあまり知られていません。その中で記念館を建設し、韓国、中国が日本批判を喧伝している。この対立は容易に解決しないでしょうね」(同)
論争の根は深い。