収監以前の光浩は、昼は仲間とツルんで悪さをし、夜は廃車になったクルマの中で朝まで語り明かす…そんな毎日を送っていた。仲間の姿が消えたことなど一時たりともなかったし、想像したこともなかった。
しかし鑑別所の中では、その“想像したこともなかった”世界に放り込まれ、何カ月間にも及ぶ沈黙の日々を強制されたのだ。孤独のあまり「このままではノイローゼになるんじゃないか」という不安すら覚えた。
こうした状況の光浩を救ったのが両親だった。毎日のように鑑別所を面会に訪れては「少年院になんか絶対やらないから安心しろ」「鑑別所でまじめに過ごしていれば外に出られるから」と励まし続けた。
光浩は内心、少年院行きを覚悟していた。独房では今までの行状を振り返る時間がタップリある。それらをかんがみれば、「少年院もやむを得ないだろうな」と自分なりに納得していたのだ。
しかし両親は鑑別所だけでなく、こまめに警察署や家庭裁判所にも足を運び、光浩の罪を詫び続けた。なんとか少年院送致だけは免れるよう、さまざまな場面で必死になって頭を下げ続けていたのだ。こうした話を両親から面会のたびに聞かされるうち、光浩の心境に大きな変化が生まれた。
「両親に申し訳ない」。
以前なら、いて当たり前だった両親の存在。そんな感情を持ったことなど一度もなかったし、むしろ“悪さ”をする対象ですらあった。なのに今、ここから自分を出そうと両親は必死になっている。
その姿に触れた光浩は、生活態度も自ずと改まってきた。急に改めたところで少年院送致の可能性が消えるわけでもないのだが、そんなことは関係ない。両親に申し訳ないという一念が光浩を突き動かしたのだ。そして、家庭裁判所の判断が決定する運命の日が来た。