平成を代表する選手3人を紹介する。
・黒田博樹
1996年オフにドラフト2位で広島東洋カープに入団。2000年代の「暗黒時代」のエースとしてチームを支え、7年で6度の二桁勝利を達成した。
そんな黒田はFA権を取得した2006年、在阪マスコミなどが盛んに「阪神タイガース移籍」と報道。江藤智、金本知憲がFAで他球団に移籍し、チームが弱体化しただけに、当時カープファンは強い危機感を覚えていた。
一時は「移籍濃厚」などと在阪マスコミが書き立てたが、ファンが残留を懇願したこともあり、黒田は「日本では生涯広島」を宣言。この決断は「男気決断」などと言われ、カープファンを大いに感動させる。翌年MLB移籍を表明するが、反対するファンは皆無に等しかった。
MLBでは変化球投手に変身し、結果を出していた黒田。2014年オフ、約20億円とも言われるメジャー球団のオファーを蹴り、「広島で終わりたい」とカープに復帰した。全く衰えを感じさせない投球を披露し、2015年は11勝を挙げた。
そして2016年もチームの中心としてカープを引っ張り、25年ぶりのリーグ優勝に貢献。その年に、引退を表明し、有終の美を飾った。平成の暗黒時代と黄金時代を経験し、両方でチームを支えた黒田の活躍は、多くのカープファンに感動を与えた。
・前田智徳
熊本工業高校からカープに入団。その高い打撃センスは職人的で、三冠王3回の落合博満元中日ドラゴンズ監督から「天才」と称されたほど。
ところが1995年にアキレス腱を断裂し、選手生命の危機を迎えてしまう。しかし努力と鍛錬で復帰し、レギュラーへと返り咲く。この間チームは下位に低迷していたが、主力選手として打線を引っ張り、2007年には2000安打を達成した。
広角に打ち分ける打撃センスと長打力、そしてストイックに黙々とプレーする姿はファンはもちろん、選手もリスペクトしていた。
・野村謙二郎
1988年オフにドラフト1位で駒澤大学から入団。1年目から1軍に定着し、2年目からレギュラーになると、盗塁王を2年連続で獲得。押しも押されもせぬカープの1番打者として、チームの顔となる。
1995年には打率3割1分5厘、32本塁打、30盗塁でトリプルスリーを達成。当時未開だった「野手としてのメジャーリーガー」に最も近いと言われ、実際に数球団からオファーがあったようだが、「広島のために生きる」として最終的に残留。以降、生涯広島でプレーすることになる。
2005年に2000安打を達成し、同年に引退。球団は将来の監督として考えており、2010年から監督に就任し、Bクラス常連だったチームを2013年にAクラスに押し上げ、2014年も3位に導いた。
一打席は必ず立たねばならないDHに偵察要員の投手を連ねてしまうなど「ご愛嬌」もあった野村だが、「黄金時代の礎」を築いた監督であることは間違いない。選手・監督両面でカープに貢献した。
平成時代は波乱万丈だった広島東洋カープだが、かつては「練習が厳しい」「人気がない」など敬遠されていた時期があった。そんな時代を乗り越え、巨人以来のセリーグ3連覇を達成したことは、素晴らしいの一言だ。
文・櫻井哲夫