1972年5月、千日デパート(専門店街、演芸場、大食堂、遊戯施設を備えたショピングセンター)の閉店直後に火災が発生。火はまたたく間に燃え広がった。
出火当時、最上階7階のキャバレーは営業中で、逃げ遅れた客やホステス、従業員の多くが、灼熱と猛煙に我慢ができず窓ガラスを割り、地上や隣の千日前商店街のアーケード上に飛び降りた。悲鳴の後の鈍い音。アーケードを突き破り、商店街の路上に叩きつけられた人もいた。火災直後、破れたアーケードとその上に横たわる遺体、路上には血だまりができ、凄惨な光景だった。 飛び降りなかった者の多くも一酸化炭素中毒で窒息死し、7階フロアで折り重なるように倒れていた。まさに地獄絵図だった。118名の死者、78名の重軽傷者を出す日本のビル火災史上最悪の大惨事となった 。
その後、悲惨なイメージを払拭するかのように、この地に若者向けの華やかなファッションビル「P」を建設された。
関西在住の頃、私は実際にPに買い物に行ったことがある。P館内の照明は十分明るいのにも関わらず、何故かいつも暗く感じた。1階トイレの一番端の個室が常に使用禁止で、また、トイレに入ると何者かの視線を感じて落ち着かなかった。そして、建物内はやたらと鏡が多く、その鏡には幽霊が映るという噂もあった。
ある女性からPにまつわる体験談を聞いた。彼女は過去にバーゲン時期の臨時アルバイトとして、Pで働いたことがあるという。
客が帰った閉店後、アルバイトは一箇所のフロアに集められる。そして監督の社員の指示のもと、翌日のバーゲンに備えて、商品の値札の張替え作業等を徹夜でするのだった。
夜の10時を過ぎた頃だった。
「火災発生…火災発生…」
突然、女性の暗い声で館内放送が流れてきた。彼女は驚いたが、社員はその放送を無視するかのように「作業を続けてください」とアルバイト達に指示していた。不審に思ったが、館内放送はすぐ止んだので、また黙々と作業を続けたという。
その後、彼女が長く勤めているアルバイト仲間から聞いた話によると、夜のこの時間には、決まって不可解な館内放送が流れるという。さめざめと泣く声やしきりに助けを求める声を聞いたこともあったという。それは、ちょうど火災が発生した時刻であった。
千日前という土地は、過去をさかのぼると、元は「千日墓」という墓地であり、焼き場であり、罪人の処刑場でもあった所である。
現在はPも閉店し、別の新たな大型店舗が建っている。土地が持つ因縁と悲劇の歴史せいか、様々な怪異な目撃談が語られている。未だに浮かばれない霊がさ迷っているという話も数多く聞く。亡くなった方の御冥福を祈らずにはいられない。
(「怪談作家」呪淋陀 山口敏太郎事務所)
参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou