とはいっても、「うなぎ」とは関係はあるが、「うなぎの蒲焼」とは関係ない。タイトルにするだけあり、主人公が比喩的な意味で、「立派なうなぎになる」ことが最後のオチとして用意されている。結構「おお、なるほど」となる展開なのでここでは伏せておこう。なお原作は、吉村昭の『闇にひらめく』だが、同作家の『仮釈放』もかなり映画の要素として盛り込んでいる。
本作は、第50回カンヌ国際映画祭において作品賞にあたる「パルムドール」を受賞したことでも知られる作品だ。内容的には不倫した妻を殺害して以来人間不信に陥り、仮出所後、囚人時代に野外作業で捕まえたペットであるうなぎにだけ心を開きながら、静かに理髪店を営む中年男性・山下拓郎(役所広司)と、人生に悩み自殺を図った消費者金融会社副社長の女性・服部桂子(清水美砂)の再出発を描いた再生の物語となっている。
同作は、それまでエログロ描写で有名だった今村昌平監督がメガホンを取っており、冒頭のスプラッター演出など、エグいシーンが、様々な場面で盛り込まれているのだが、全体的にみると、いい意味でゆるい。さらに、そこを特に理解しなくても作品は楽しめるのだが、抽象的、比喩的な演出も随所で見られ、それが良いか悪いかは別として、海外の映画祭で賞を取りそうだという要素はかなりある。
作品の流れ的には、仮出所後、理髪店をやりながら趣味の釣りをしている拓郎が、うなぎのエサを取りに行った際に、服毒自殺を図った桂子を偶然に助けてしまったことで大きく話が動く。その影響で、桂子を愛人にしていた消費者金融の社長・堂島英次(田口トモロヲ)との揉め事に巻き込まれ、さらに、同じ刑務所で受刑していた高崎保(柄本明)の逆恨みなどを受け、周囲に心を開くこともなく、日々をすごしていた中年男が、徐々に自我を取り戻していくことになる。ベタなパターンといえばそうなのだが、話を上手くうなぎと重ね合わせているところに、この作品の味わいがある。
前科持ちの人物をメインに置き、不倫や殺人、自殺未遂、金をめぐる醜い争いなど、ドロドロになりがちなテーマでありながら、笑ってしまうのが、この作品の特徴だ。その理由は、やはり登場人物のキャラ立ちにあるだろう。真面目なストーリー進行で、本人たちも至って真面目な言葉や行動をしているのだが、どこかで笑いどころが必ず生まれる。中盤に保が桂子を襲おうとしてジャイアントスイングをするシーンや、終盤に主要人物のほぼ全員が登場しての、床屋での乱闘などは、かなりの笑いどころだ。他のシーンも全体的に、演者の感情をあらわにする様子が、かなり舞台劇的でオーバーと思うほど。これは海外の映画などでよくあるシーンで、カンヌ映画祭でウケた理由もこのあたりにあるのではないだろうか?
基本的に、この作品には「悪人」は登場しない。かわりに主要人物のほとんどが「どうしょうもない人」だ。どうしょうもない理由で、妻を殺してしまったり、不倫をしたり、自殺未遂を図ったりと、自分もそういった状況がありえるかもしれないという人物描写が、妙な親近感を与える。このあたりは、クドくならないように、意図的にコメディータッチなシーンが多くなっている。例をあげると、精神病を患う市原悦子演じる、桂子の母が登場するシーンなどで、桂子にとってみれば、かなり辛い状況にも関わらず、鑑賞する側に立つと、突然ヘンな言動をしたり、フラメンコを踊り出す市原のブッ飛んだ演技が興味を引き、苦もなく人物の動きを見ていられる。しかし、お金の話や不倫の顛末、拓郎が殺した妻を思い出すシーンなど、締める部分はちゃんと締めているので、あざとさを感じない。この緩急の良さで、人物の暗い過去も含めて、すんなりと楽しめてしまう。
また、隣家の船大工・高田重吉(佐藤允)、チンピラ風の男だが、なんだかんだで床屋の常連になる、野沢祐司(哀川翔)、UFOを捜し求める青年・斎藤昌樹(小林健)といった、利根川沿いの寂れた町に住む住人たちの、無私の善意が、拓郎に存在する意味を与えていく。これは、一種の桃源郷のようなもので、主人公の境遇を受け入れてくれる、ある意味浮世離れした世界だ。このあたりの世界観のおかげで、観賞後、どこかほっこりしてしまう。かと言って主人公がその世界に甘えている訳ではなく、恵まれた世界でのうのうと暮らしているという批判は、ちゃんと囚人仲間だった保がしており、その事も受け入れて、拓郎はこの町で暮らして行きたいと思うようになる。そして、最終的に英次との暴力沙汰に巻き込まれ、おそらく英次の子供と思われる、桂子の腹の中にいる子供を「俺の子だ!」と宣言する流れに繋がっていく。
静かに暮らしたいと願う拓郎にとっては、トラブルでしかない2人の人物が、結果的に拓郎が再び人間として歩みだすきっかけを与えるというのも、この作品の面白いところだ。王道に見せかけて実は若干はずしている。ひと言で言うと変な映画なのだが、その変な部分がとても楽しい作品と言えるだろう。
(斎藤雅道=毎週土曜日に掲載)