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球界地獄耳・関本四十四の巨人軍、ダッグアウト秘話(13) バントで攻めまくる!

 マスコミでは「石橋を叩いても渡らない川上野球」と言われたが、川上さんは当時の130試合制度をトータルで考えていたと思う。オレ自身のことを振り返って見ると、よくわかるんじゃないかな。

 V7の年に当たる71年、プロ入り4年目で一軍デビューして10勝11敗、防御率2.14の成績で新人王を獲得した。規定投球回数をクリアして、防御率は2.14だよ。1試合に2点しか取られていない。それなのに、なぜ11敗もしないといけないのか。常識的に考えれば、あり得ない話だろう。
 そう思って首をかしげていたら、柴田さんや土井さんが「相手の投手をわかっていないのか?」と、ニヤリとして言うんだよ。言われてなるほどと思った。甲子園に村山さん、江夏さん、広島には外木場さん、川崎にも平松さん。どこに言っても巨人キラーの大エースがいる。オレが2点に抑えても10敗するわけだ。が、川上さんにしたら、計算通りなのだろう。
 オレを相手の大エースにぶつけておいて、ホリさん(堀内氏)カズミさん(高橋一三氏)、メリーさん(渡辺氏)らで2勝する、トータル2勝1敗の作戦だったんだ。攻撃面では柴田さん、土井さん、黒江さんらの執拗なバント作戦もそうだね。最後に勝てばいいという作戦だ。

 相手のエースが簡単に打てない調子だとみると、7回くらいまで徹底して右に左にとバントで攻めまくる。とくに三塁線にやられると、本当に投手は嫌になってくる。スタミナが消耗してくるんだよ。ボクシングでいえば、ボディーブローのように徐々にきいていくる。そうしておいて、完全にスタミナ切れしてきた相手を攻めて終盤で一気に逆転してしまう。手堅い川上野球の神髄だよね。
 ただ川上さんが監督になった当初は、バント攻撃といってもなんだかんだといってやらない選手が多かったそうだよ。それまでチームプレーという考え方がなかったから、仕方ない面もあったんだろう。が、川上さんはチームプレーで相手を倒すドジャース戦法をなんとか根付かせようと、手を打った。
 何をしたかというと、2割4分くらいしか打てなかった土井さんの年俸を大幅にアップさせたんだ。チームプレーとしてバントで貢献した点を最大級に評価したんだよ。
こうなると、他の選手も現金なもので、バントなどチームプレーのサインが出ても嫌な顔せずにやる。なんといってもプロ野球の世界の誠意、評価はお金だからね。土井さんの大幅昇給という川上さんの一手で、チームプレーはチーム内にスーッと浸透していったそうだ。
 土井さんが立大から巨人に入った65年からV9が始まったというのは、偶然でも何でもない。必然だった。

<関本四十四氏の略歴>
 1949年5月1日生まれ。右投、両打。糸魚川商工から1967年ドラフト10位で巨人入り。4年目の71年に新人王獲得で話題に。74年にセ・リーグの最優秀防御率投手のタイトルを獲得する。76年に太平洋クラブ(現西武)に移籍、77年から78年まで大洋(現横浜)でプレー。
 引退後は文化放送解説者、テレビ朝日のベンチレポーター。86年から91年まで巨人二軍投手コーチ。92年ラジオ日本解説者。2004 年から05年まで巨人二軍投手コーチ。06年からラジオ日本解説者。球界地獄耳で知られる情報通、歯に着せぬ評論が好評だ。

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