尾崎豊は繊細かつ真面目すぎる性格が災いして、自ら決断した高校中退を悔やんでいたのだと思う。恐らく尾崎が高校を卒業し、大学に進学していれば、真面目な彼のことだから、卒業後に一流企業に入社し、平凡な生涯を終えていたとも思われる。
だが、彼は敢えて時代と真っ向勝負で戦い、その苦悩の果てに身も心も病んでしまったような気がするのである。彼の悲劇的な死をもって、尾崎豊の伝説は終焉するように見えたのであるが、彼の忘れ形見である一人息子の尾崎裕哉の登場によって、新たな時代が築かれようとしている。
尾崎裕哉は1989年7月24日に生を受けた。父親の悲劇的な最期の後、彼は母親とともにアメリカのニューヨークで幼少時代を過ごしたという。その後の詳細は不明だが、尾崎豊の十三回忌に合わせて発売されたトリビュートアルバム『“BLUE” A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI』に参加。その後慶応義塾大学に進学した。
今回、尾崎裕哉の歌声をテレビのニュースバラエティ番組で聴いた筆者は、その歌声で動きが止まった。背筋に寒いものが走るのを感じた。父・尾崎豊が歌っていると思うほどに声が似ていたのだ。偉大な父親のDNAを色濃く引き継いだ尾崎裕哉。
今回はラジオ番組でのデビューとなったが、彼の信念は音楽を通して地球を救うことだという。父親同様、大きな夢を持っているが、彼の音楽性はまだ未知数であり、これからが尾崎裕哉の真価が問われることになりそうだ。
InterFM『CONCERNED GENERATION』(毎週土曜/後4:30〜後5:00)
(藤原真)