文政年間、北村(愛知県豊田市小原喜多町)辺りに藤本玄碩という漢方医が住んでいた。玄碩は尾張で医術を学び、生家の東側にある小高い丘の中腹に家を建て開業していた。尾張仕込みの技術力の高さと人柄の良さで評判となり、遠方からも患者が訪れていた。
ある秋のこと、尾張から訪れた患者が自分の檀那寺にある珍しい桜の木の自慢をしていた。その桜は一年に2回花を咲かせ、春と秋に花盛りになるという。もともと好奇心の強い玄碩はもっと詳しく患者に話を聞き出した。早速、玄碩はその寺を訪ねてみた。寺の境内には紅葉した木々に囲まれて、美しい花を咲かせている桜の木があった。あまりの美しさに玄碩はずっと桜を見とれてしまった。その後、寺の方丈で和尚と対面し、桜の美しさをめでた。以前から玄碩の評判と人徳を聞いていた和尚は「あなたのような方でしたら、桜を差し上げても大丈夫でしょう。三河の山に桜を咲かせてみて下さい」と言った。根が地上に出ている若木を譲ってくれた。
大喜びで若木を持ち帰った玄碩は、家から一番よく見える前山の中腹に植え、大切に育てた。桜は順調に成長し、村でも評判の美しい桜となり、誰とも無く「四季桜」と呼ぶようになった。文政13(1830)年、玄碩は他界したが、その頃には玄碩の家の周りにはたくさんの四季桜が成長し、美しい花を咲かせるようになっていた。
(写真:「四季桜」愛知県豊田市内)
(「三州の河の住人」皆月 斜 山口敏太郎事務所)
参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou