さて、今回は1997年の第47回優勝馬タイキブリザード(父シアトルスルー、美浦・藤沢和厩舎)にスポットを当てた。三度目の正直というが、初挑戦は3着、2度目が2着と確実に成績を上げこの日を迎えた。
前哨戦の京王杯SCをレコードで圧勝、追い風も吹いていた。しかし、皮肉にもレコードで勝ったことにより、新たな悩みを突きつけられることに。手島正勝厩務員は当時を振り返り、次のように話した。
「ブリンカーが利きすぎて、その結果のレコード勝ち。本番は距離が1F延びるし、ブリンカーを着けたままでうまくコントロールできるかどうか…。相手も強くなるし、外した方がいいんじゃないかと随分迷った(笑)」
藤沢和師はじめ、スタッフはその時、ハムレットの心境だったことが手島さんの話からうかがえる。
熟慮の末、ブリンカーは外された。その結果、4角で早々と先頭に立った京王杯SCとは対照的なレースが展開された。道中は中団を進み、岡部騎手は直線に向くと満を持して追い出した。
ブリザードは阿吽(あうん)の呼吸で瞬時に反応すると、矢のような鋭い伸び脚で栄光のゴール板を駆け抜けた。薄氷を踏むクビ差(2着ジェニュイン)の勝利だったが、結果良ければすべて良し。3年越しの大団円だった。
この後、宝塚記念に出走し変則2冠を目指したが4着。そして、二度目の海外遠征に旅立った。オークツリーBCマイル3着、ブリーダーズCクラシック6着と2戦したのち無念の帰国。
遠征帰りの有馬記念で復権を誓ったが、9着と不本意な結果に終わる。「体調が悪かったからね。(国内20戦目で)初めて掲示板を外しちゃったよ」敗因を語る手島さんの寂しそうな笑顔が印象的だった。
有馬記念を最後に引退。種牡馬になったが、お役ご免となり現在はノーザンファームで静かに余生を送っている。通算成績は20戦6勝(うち重賞、安田記念、京王杯SC、大阪杯)、海外3戦3着1回。