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ハリファックスの切りつけ屋は実在したのか?(3)

 カナダのハリファックスでは1938年11月16日から27日にかけて若い女性などが次々と襲撃され、犠牲者こそ出なかったものの地域社会を不安に陥れた。幸いにも被害者の傷はいずれも浅かったが、地元紙は正体不明の襲撃者を「ハリファックスの切りつけ屋」と称して逮捕に懸賞金をかけたほか、警察の捜査が進まないことに業を煮やした住民が自警団を結成し、夜間のパトロールを開始するなど、騒ぎは急速に広がっていった。

 また、騒ぎの中で襲撃犯と誤認された男性や少年が自警団や酔っぱらいから暴行を受けるといった二次被害も発生し、当時のハリファックスは集団パニックを引き起こしたかのような有様だったとされる。

 そして29日にもふたつの襲撃が連続発生し、事件は決定的な局面を迎えたのである。

 まず、最初の事件は21日に襲撃され、辛くも逃げ延びた女性が再び襲撃を受けたというもので、前回と同様に今回も軽傷を受けつつ脱出に成功していた。その数時間後には別の女性が襲撃を受けているが、同様に軽傷を受けつつ逃げ延びている。

 これまで、地元警察は初動捜査にことごとく失敗しており、ただパトロールを強化するばかりだった。ハリファックスはカナダ有数の貿易港で、当時の人口は数万人に達していたが、警察力の整備は無線付きパトカーの導入といった治安対策に力点が置かれており、犯罪捜査については組織、人員ともに立ち遅れていた。そのため、やむなくイギリスのロンドン警視庁へ応援を依頼し、犯罪捜査の経験を積んだ警部らを招聘したのである。

 カナダは1931年のウェストミンスター憲章によって外交権を得るまでは英国の海外自治領であり、法的には住民も英国民という扱いだった。そのため、それまでは犯罪捜査においても本国依存が強く、さらに凶悪犯罪の発生件数も限られていたことから、捜査体制が整っていなかったようだ。

 いずれにせよ、地元警察は初動捜査どころか犯行現場の保存すらままならないような有様で、被害者からの事情聴取も形ばかりのものだったようだ。もちろん、犯人像など全く絞り込めておらず、容疑者に繋がる物的証拠も発見していなかった。

 しかし、ロンドン警視庁の腕利きたちは全く違っていた。

 おりしも連続襲撃が発生していた29日の夜にハリファックス入りした警部たちは、文字通り一夜にして謎を解き明かし、事件を解決してしまったのである。

(続く)

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