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ハリファックスの切りつけ屋は実在したのか?(1)

 第二次世界大戦前の1938年11月、カナダのハリファックスで若い女性のふたりづれが暗がりで鋭利な刃物を持つ男に襲撃され、命からがら逃げ出すという事件が起きた。ハリファックスは大西洋航路の拠点となる港湾都市として多くの人々が集っていたが、当時の人口は数万人程度であったこともあり、治安はかなり良好であった。ただ、もともと移民が多い土地柄の上、事件の21年前にはハリファックス大災害と呼ばれる惨事にみまわれ、人口の約20%が死傷したために住民の入れ替わりは少なくなかったとされる。そのため、警察力の近代化にも積極的で、事件からわずか数年前には無線付きパトカーを導入したり、警官へ拳銃を支給してもいた。

 とは言え、それはあくまでも警ら活動(地域で警察官が犯罪の予防・検挙などを目的として行う巡回や職務質問など)を支援するための近代化であり、犯罪捜査を強化するための研究や調査、教育などの組織改革をともなうものではなかった。反対に、それまでは警ら活動の強化すら必要性が薄く、捜査技術を強化するほど複雑な事件も起きていないほど平和な街だったといえるだろう。

 そして、そのことが事件に大きな影を落とすのである。

 ともあれ、若い女性が襲撃を受けて負傷したことは住民に大きな衝撃を与え、センセーショナルに取り上げられた。幸い、襲われた女性の傷は浅かったようで、ふたりとも入院するほどではなかったらしく、その後の治療記録は見当たらない。とはいえ、女性らが襲われた地区のみならず、ハリファックスの広い地域で住民の不安は激しく高まり、犯人が捕まるまでは治まりそうになかった。

 そして、数日後に第二の、さらに第三の事件が発生し、住民らの不安はパニックへ発展してしまう。

 まず11月21日には工場から帰宅途中の若い女性がやはり鋭利な刃物で襲われ、手首を負傷するという事件が発生し、加えて24日にも若い女性が駆け足でやってきた男の襲撃を受けたことから、騒動は一気に過熱する。ハリファックスの地元紙(ハリファックス・クーリエ)は見出しで「ハリファックスの切りつけ屋」と煽ったほか、犯人逮捕に懸賞金をかけるなど、熱狂を加速させていた。

 その上、警察の対応も後手後手で、初動捜査どころか犯行現場の保存すらままならないような有様だったし、もちろん犯人像など全く絞り込めていなかった。そして、さらなる襲撃事件が発生し、自警団まで結成されるなどの集団パニックが発生してしまう。

 ハリファックス警察の失敗や集団パニックとは、なにより襲撃犯の正体とは、いったいいかなるものであったのだろうか?

(続く)

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